知る必要がないのに知ろうとする。
なんでも知っていることが自分が他に優越している証だと思う。
あるいは、リクツで勝とうとする。言い負かそうとする。
知識とリクツのセットで、他者の上に立とうとする。
こういう人は現代の競争社会には、大勢います。
何かしらの疎外感・不全感を多く持つ人は、それが強いのです。
それにプラスして、三島由紀夫は、自己を「清廉潔白」にしようとする意思があったので、とても気の毒です。なんであれアンバランスな三島由紀夫は、心休まるところがなかったでしょう。
「それは知らないです」「それは分かりません」「うん?それがどうしたのでしょうか」というふつうに率直な言辞をするのは、彼には出来ませんでした。怖いのです。知らないと、自己の存在価値が低くなると思うです。
三島由紀夫について、保坂正康(昭和史)さんは、「雑談をしていると、クラシックから学生運動のセクトまで何でも知っている人」 「あれほど森羅万象を知っているのに・・・」と言います。
仕事や生活の必要や、あるいは純粋な疑問から何か知ろうとするのは健康な精神ですが、他者を凌駕するために知ろうするのは、不健全で危ういことです。その知は人の幸福に寄与せず、かえって不幸を招きます。純粋な知的好奇心は、他者を意識しません。それが健康な心で、そこで得られる知は健全でバランスがとれています。背伸びがなく無理がありません。
逆に、必要もないのに、自己の存在証明のために何でも知るというのは、本質的に愚かことですが、それにプラスして清廉潔白であろうとするなら、自己破壊、破滅に進むほかないでしょう。もし自己が壊れなければ周囲の人が壊れます。
三島由紀夫は、身を持って、そのことを示しました。ご冥福をお祈りします。
武田康弘