ソクラテスのいう善美のイデアの追求の「善」=「よい」は、
宗教でいう善とはまるで異なります。
では、フィロソフィーの「よい」とはなにか、
それは、『白樺教育館』の玄関に掲げてありますが、以下です。
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最高のイデア(理念)とされる【よい】の意味について。
女性と対話するソクラテス
(レリーフ制作は紀元前2世紀)
恋知(哲学)でいう【よい】とは、かたまじめな善(ぜん)のことではありません。
生き生きとしていること・輝いていること・しなやかなこと・瑞々(みずみず)しいこと・溌剌(はつらつ)としてること・高揚感のあること・囚われのないこと・愉快なこと・・・ を言います。
「まじめ」ということも、学校や官の世界でいう「真面目」、厳禁の精神・既成秩序に盲従する「真面目」ではありません。ソクラテスとプラトンのいうまじめとは、恋愛におけるまじめ=真剣と同じです。興味のある方は、世界文学最高の古典の一つと言われる『饗宴』(プラトンによるソクラテスの対話編)をお読みください。アカデメイアの主祭神は、エロースの神です。善美をめがける動力源は、エロースの力とされます。宗教との根本的違いです。
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必然の神・アナンケを打ち破ったのが恋愛の神・エロースであったというギリシャ神話は、とても示唆に富むエピソードです。
規律・掟を絶対とする「厳禁の精神」のアナンケの支配下では神々の争いが絶えませんでしたが、
性愛を司るエロース神が、厳禁のアナンケを打ち破ったことで、調和=平和が訪れたのです。