疎外感の克服とか、「他者承認」のためではなく、好き、どうしても好き・・・「自己承認」の哲学だ。それこそホンモノ。
大谷翔平も藤井聡太も他者意識ではなく、純粋に好きでやっている。お金や権力や名誉欲とは無縁。ほんものは穢れがなく、気分がいい。恋知も同じ。好きだから。Love of thinking 知る、調べるよりも、考えるに恋してる。
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何をするにも、憧れ心が一番であり、自己実現というのはおかしい。
自己実現とはエゴイズムと同義語だ。
私が想うのはエロース豊かな善美の世界。自我とは無縁だ。私の悦びが価値をもち創造性を発揮するのは、自我が終焉したときのみ。
世間を気にし、格好をつけ、上手くやろうとする、
私が想う善美へまっすぐに、ではなく、他者承認に怯える他者承認の哲学を抱え持つからこそ自己実現などと言うのです。まっすぐに自己承認に向かえば、自我=エゴではなく、善美への扉が開きます。自我の終焉は、何よりも生産的な生をもたらします。
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わたしは、自由がなければすべてなし、という心の声に従って生きてきた。ますます強くそう思う。自由な精神がなければ、何があっても、無意味だ。自由=自我からの解放がないと創造はなく、生の価値は生じない。
『自由』とは、所有(知識・履歴・財産など)に価値を見る考え方・生き方とは正反対ですので、自我主義とは無縁です。自由でないと生活も仕事も創造性をもたず、惰性態にしかなりません。残念なことに大多数の人が自由ではなく、自分と自分ちという狭小な発想しかもちません。開かれた公共はなし。
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プロソピア(哲学と西周がドイツ語から訳したが、それは明らかに誤りで、正しくは恋知)は、私=人間を通して、社会も世界も知ろう努力します。ですから、宗教の独断とは次元の異なる健全な知です。みなが恋知者となるのがほんとうです。地上の支配者をはるか下に見下ろします。
【飛ぶエロース】 テラコッタ(素焼)人形 ルーブル美術館蔵
武田康弘