思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

靖国神社職員の方々の明瞭な説明により、公務員と靖国は少しも結びつきを持てないことがハッキリしました。

2015-10-28 | 学芸

 靖国神社職員有志の会】の方の主張は、明確です。

   以下は、靖国神社職員の方の主張、一部転写です。

 キリスト教等、異教徒の戦死者遺族の方から時々、合祀に反対する意見を寄せられることがあります。

 しかし、誰を合祀するかしないかは私たちの自由です。これも私たちの「信教の自由」です。
 国家功労者をお祀りするにあたって遺族の意思を確認するつもりは一切ありません。国のために犠牲となった英霊は、もはや遺族だけの独占物ではないと考えるからです。
 
 今後海外派兵が盛んになり、自衛隊等で殉職者が出ることもあるでしょうが、どの殉職者を祀り、祀らないかは、その都度その都度私たちだけで判断します。部外者の誰にも相談するつもりはありません。
 今まで自衛隊員は祀られませんでしたが、今後、日本も積極的に世界平和のために戦うようになれば、将来的に自衛隊の殉職者を合祀することもありえると思います。

 さらには憲法改正されて正規軍が組織されれば、「日本軍戦死者」も出てくることが予想されます。その際には戦死者本人の宗教に係わりなく平等に扱うこととなるでしょう。

 これを止めることは誰にもできません。
 私たちの「信教の自由」は、誰にも止められません。

 

 以上には、靖国神社職員の方々の正直な考えがきちんと表明されています。

 

 もうこれでどなたもお分かりのことと思いますが、
「日本も積極的に世界平和のために戦うようになれば、」「憲法改正されて正規軍が組織されれば、」
というように、靖国という宗教は、とても政治的です。「戦争神社」と呼ばれる理由がよく分かりますが、これは、明治政府=長州藩の下級武士たちが、天皇側で戦った戦死者だけを祀る施設として創設したのですから、当然のことです。

 問題の核心は、そのような【思想神社】を主権在民の原理に拠る近代民主政の「日本国憲法」下の議員=公人が支援したり関与したりすることは、明白な憲法違反になるということです。これは、憲法学者の90パーセント以上が「ノー」と言った集団的自衛権容認の時以上の割合で「ノー」となるはずです。恐らく全員でしょう。

特定の宗教を政府関係者や議員など公務員が支援することはできない、憲法20条に極めて明瞭です。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

結語、
靖国神社の職員の方々が主張する通り、宗教活動の自由は保証されています。憲法20条で保障されたその自由を守ることは必須です。
そのためには公務員は、靖国神社を特別扱いにしてはならないわけです。もしも、政府関係者や議員が靖国神社に対して優遇や支援をすることがあれば、明白な憲法違反です。
靖国神社と政治が結びつくことは憲法違反であり、できません。議員の資格での参拝は不可能なのです。「日本国家のために斃れた英霊を祀る」と言い、それに特別の価値を与える言動を政府関係者をはじめ公務員はしてはならないわけです。

なお、靖国神社の思想のうち、「祀るのは靖国神社の自由であり、そこでは個人の自由はない」という主張は、そのままでは憲法違反となります。誰であれ、公共の福祉に反しない限り個人の自由意思を否定する権利はない、これは、近代市民社会の常識です。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員=「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

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3 コメント

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Unknown (三枝恭子)
2015-10-29 13:12:53
長いこと、靖国神社そのものと、いわゆる靖国神社問題は、いってみれば新聞の見出しレベルの知識と関心でした。今回Facebook、そしてブログに靖国神社職員有志の会の声明文を載せてくださったのを機にこれは本気で知って考えるべきことなんだ、と思い、とりあえずウィキペディアで、日本の近代社格制度、靖国神社、および靖国神社問題に関する項目を読んでみました。それはまあバックグラウンドとしての知識のためですが、今回の有志の会の人たちの態度で気になるのが、彼ら(わたしたち、と名乗る)の信教の自由というのが、極度に排他的なことと、日本軍戦死者をかなり現実として想定していることです。この人たちの宇宙の狭さが実に痛ましいです。ここまで縮こまって、わたしたち、というグループを必死で守る必要はどこから出てくるのでしょう。どうも、宮沢賢治のいう「この世界がまだなめくじでできていたころの遺風」(『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』』)ですね(ナメクジに失礼ですが)。自己を確立・肯定・愛することのできない悲劇です。ますます、自分をよしとする解放感を味わうことのできる教育、そして、one child at a timeですね。
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ぜひ、また。 (タケセン)
2015-10-29 16:35:32
三枝さん、これは、この一つ前のblogでの対話「一神教」を乗り越える課題と密接に結びついています。
ぜひ、来日の折にはお寄り下さい。お話しましょう~~~
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本当に職員有志が書いたらしい (Akemi)
2017-05-04 11:04:53
「靖国神社職員有志の主張」のことを、今までの私は、「靖国神社の本音はこうだろう」と推測した外部者(むしろ批判的な人)が、「あそこに参拝する政治家は、実はこんな思想の賛同者なんですよ」と世に訴え、警告するために作ったサイトではないかと疑っていて、それゆえ、私のブログで言及することは避けてきたのですが、最近になって、これは本当に文字通りの「職員有志」が書いたものらしいと思える根拠となる情報を得ました。崇敬奉賛会終身会員の熱心な靖国原理主義者のような人が、yahoo知恵袋で、そのことを積極的に認める発言をしたのです。これでもう、「みたま安かれとお参りいたしました」というような政治家の言い逃れは許されなくなりましたね。それにしても、日本国憲法を忌み嫌うスタンスの人が、憲法20条の「信教の自由」を最大限に、弓の弦が切れそな限度まで主張しているのは、まことに興味深い(というか、茶番的な)ものです。
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