思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ゆく時代?来る時代? 元号を変えて、時代が変わる??ビックリの日本という国。

2019-05-01 | 社会批評

 NHKでは、「ゆく時代、来る時代」というテレビ番組で、芸能人やら有名人がみなはしゃいでいました。

 なんともスサマジイ宗教国家だな~~~(笑笑) 天皇教一色ですが、この宗教には中身=内容がありませんので、その時その場の価値観で動きます。

 だから、戦争推進の恐ろしいイデオロギーにもなり、平和主義のシンボルにもなります。世俗の都合や価値に合わせて七変化するのです。

 キリスト教のような一神教は、経典を持ち、世俗の価値を超える思想の原理をもちますので、自己といまある社会の価値意識を相対化することができますが、
 天皇教の場合は、中身がないのでその時々の政権を聖化するアイテムとして作用してしまい、世俗の価値を相対化するのとは逆に、絶対化して強固にする役割をもちます。そのために政治権力者にはとても都合のよいシステムで、長いこと重宝されてきました。

 日本人の多くは、学校の勉強とその延長=「事実学の積み上げとパターン知の習得と丸暗記と情報取得」だけを競い(東大病・東大教)、自分の経験をもとに自分の頭で考えるという人間的な思考力・総合的判断力の鍛錬をしていません。そうなので、中身がなく世俗の価値を追認する天皇教にはとても馴染むのです。自己の実存への問いは封印したまま(無思考)、集団同調で生きることになります。

 技術知とパターン知と情報だけでがあり、「主観性の知としてのフィロソフィー」=実存論はどこにもありません。人間が人間になれないのですが、それをマイナス価値とは自覚しません。

 平成時代とか令和時代というような「時代」などどこにもないのに、まるでそういう時代があるかのようにテレビも新聞も大合唱です。見事なまでの日本国家宗教ですが、怪しむ人は極小です。


武田康弘(恋知者=フィロソファー)

 

 

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