★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

讃岐石鎚遙拝所を訪ねる(香川の神社127)

2017-11-27 18:28:46 | 神社仏閣


仏生山町。創立は、昭和四十七年一月とあった。


拝殿。

 
狛犬さん。平成十年のもの。

石鎚山は霊山である。なんと、今更気づいたが――、西日本最高峰なのだ。

標高は、1982メートル。





低っ


わたくしが死んだから帰るところのおやま(御嶽山)は、3063メートルである。圧倒的に勝ったな!

とか言っている場合ではなく、石鎚山は歴史的にすごい。役小角と西行が修行しているのである。修験道の開祖と死んでも死なない御大師様である。それに対して、御嶽山ときたら、張り切りすぎて、観光客に……。最近は確かにあれなのであるが、そもそも御嶽が民衆に開放されたのは寛政年間。エベレストが修験道に向かないのはあたりまえであるが、御嶽もやはりそれに近い側面があるのだ。余りに高い山々が別種の信仰を獲得するには、アルプス信仰、登山という別種の宗教が必要であった。もはや、これは人間業を越えた何かであって様々な擬人化を撥ね付けてしまう。

石鎚山は、その点、いまでもより信仰の対象である。



伊邪那岐三寶大荒神
伊邪那美三寶大荒神



「霊峰石鎚 伊邪那岐不動大神 高千穂高峰」と台座に書いてある。 



伊邪那岐天龍大神

碑には、以上の名称とともに「石鎚山蔵王大権現」や「伊邪那岐大神」「伊邪那美大神」の文字も見えた。これらが並べて記述されているところが面白い。山が万華鏡みたいな役割をしているのかも知れない。同じようなものであって、同じでない姿が様々見えるのである。森敦の「月山」のような視点である。人が作った鎮守の森にはそこまでのあれはなさそうだ。いずれ山岳信仰も勉強してみよう。


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