つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、後ろやすからむ妻などにあづけてこそ死にもこころやすからむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ、と思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせむ。容貌を変へて、世を思ひ離るやとこころみむ。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にもまじらはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、われもえせきあへねど、いみじさに、戯れに言いなさむとて、「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる。」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。
なんでボンクラがあまり相手にしてくれないだけのことで死にたいとなるのか分からんが、この「儚くなりたい」心は自殺念慮とはちがって、創作家のスランプみたいなものにちかいのではないかと思うのである。この後で、和歌が詠まれるけれども、蜻蛉さんは和歌に依存しているのであろう。念仏や歌は心をなくす。その代わりに体が心の代わりに周りの人々を動かすように動く。音楽はそういう意味で素人にとっては心をなくす癒やしになるだろうし、所作などもそうなのである。昨日講義で、大正時代の民衆芸術論について少し語ったが――その『所作』こそが芸術みたいな考え方は、ブルジョアジーの心をなくすという意味で癒やしであったが、実際の心の殲滅とは違うのだから、最初から間違っていたのかもしれないと、――思った次第だ。「母につられて僧なんかになったら鷹狩りが出来ませんよ」と言う蜻蛉さんに対し、道綱はいきなり鷹を大空に解き放つ。
本当に病んでいるのは道綱かも知れない……
見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、
あらそへば 思ひにわぶるあまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける
とぞ。
たぶん、母はちょっと不規則行動の息子の行動に不安になり、いそいで歌でその心のほころびを回収するのである。これは相手への歌ではなく心地としての歌であり、本当はこの文章の中で必要のないものである。しかも、道綱の行動のドラマチックな側面さえ減殺している。しかし、蜻蛉さんは詠まねばやっていられない。
鳥の使ひの帰る帰らぬを問題にした物語の多いのは、この信仰に根ざして居るものと見てよからう。鷹には鈴をつけて放すのが定りである。この鈴の音が、呪術とうらなひとに交渉を持つて居るものであらう。
扨、さうした鷹は謂はゞたましひの一時の保有者とも考へられる。だから此鷹によつて、鎮魂を試み、或はうらなひを行ふことになつた過程が思はれる。
――折口信夫「鷹狩りと操り芝居と」
思うに、道綱は鷹を放すことで魂に纏わる何かを解放しようとしているのかもしれない。鷹でなくてもいいが、少年時代、石をやたら投げていた。最近の子ども達はそんな自由もないのかもしれない。魂は適度に解放してやるひつようがある。そうでないと、我々は自分という過程をまるごと肯定することなんかできない。わたくしの印象だと、自己肯定感が低いとかいわれているのは否認の一種ではないかと思うのだ。否認の方が正しい。自分を反省してPDCA回すなんてのはばけものの呪文であり、その呪文は、決してその輪っかの外部の否認の引き替えに魔圏に我々を閉じ込めるのである。歴史に対する否認はかくして起こる。必要なのは、蜻蛉さんのように、その都度、突然のモノの襲来を回収しながら、ボンクラとの歴史を否認することでない。――とすると、蜻蛉さんの「儚くなりたい」願望は、死への念慮ではなく、その否認への強迫を避けようという心理の運動だということになるのかもしれない。それこそ死への念慮だということになるかもしれないが。