★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

貢八幡神社を訪ねる(香川の神社196)

2019-08-10 17:50:37 | 神社仏閣


田んぼがとっても青いから今日は田んぼ記念日



春日川の向こう側にある、昨日訪ねた「(下田井)八幡神社」が移動する前の場所に立っている。六条町。ゆえに「旧宮様」というのである。なぜ「貢」なのかは知らないが、――はっきりしていることは、日本の神社がこれほど無数にあるのは、――武士?があちらこちらで戦ったり子孫や部下が派遣されたり改姓したりする過程と関係があるということであろう。高松のこれほどの神社の数も、由縁を見る限り、武士の都合が大きいような気がする。神道が「宗教」でない訳はこんなところにもあるのであった。武士と雖も権威を示すのに常に刀を抜いて怒声を響かせているわけにもゆくまい。神だか天皇の親だかしらないがそういうものをおっ立ててシンボルの政治をおこなうのである。いまでも箱物をつくる人はそういう輩である。本当に天下を取ると自分を祀る家康みたいな人もいるが、ほかの人も心根はおんなじであり、今のネット民が偉そうにしているのと変わらない。

なにしろ弱き民の方は、下田井町の方に八幡さんが移ってしまったあと――

それ故、六条は下田井八幡宮の氏子であったのがいつの頃か分かれて六条に鎮座の鹿島神社を氏神としたのである。(案内板より)

鹿島神社というのは、いまの三宮神社のことであろうが、北の方で結構遠い。今や、川の向こう側の下田井八幡は近くて遠い神様であった。

こうなりゃ、エネルギーのある若者なんかは、おれも神社をいつの日か……と思わないではないであろう。

 
狛犬さん




本殿


わたくしの足下で、蛙が跳ねた。


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