★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

産褥と怨霊

2024-09-22 23:36:04 | 文学


 婦人問題を論ずる男の方の中に、女の体質を初から弱いものだと見て居る人のあるのは可笑しい。さう云ふ人に問ひたいのは、男の体質はお産ほどの苦痛に堪へられるか。わたしは今度で六度産をして八人の児を挙げ、七人の新しい人間を世界に殖した。男は是丈の苦痛が屡〃せられるか。少くともわたしが一週間以上一睡もしなかつた程度の辛抱が一般の男に出来るでせうか。
 婦人の体質がふくよかに美しく柔かであると云ふ事は出来る。其れを見て弱く脆いと概論するのは軽卒で無いでせうか。更に其概論を土台にして男子に従属すべき者だと断ずるのは、論ずる人の不名誉ではありませんか。

男をば罵る。彼等子を生まず命を賭けず暇あるかな。

 わたしは野蛮の遺風である武士道は嫌ですけれど、命がけで新しい人間の増殖に尽す婦道は永久に光輝があつて、かの七八百年の間武門の暴力の根柢となつて皇室と国民とを苦めた野蛮道などとは反対に、真に人類の幸福は此婦道から生じると思ふのです。是は石婦の空言では無い、わたしの胎を裂いて八人の児を浄めた血で書いて置く。


――與謝野晶子「産褥の記」


大河ドラマで、「紫式部日記」に基づく彰子の出産の場面があった。学生時代、現代語訳に青くなりながら読んだ紫式部日記の彰子出産の場面が映像化されて嬉しかった。わたくしは道長が祈祷の声をかき消すほどに指示を怒鳴り散らしてた場面がみたかったんだが、――あの場面、怨霊と闘う僧達の大仰な祈祷など、はじめてみるけどただ事じゃねえぞ、お米シャワーで着物が台無しヨー、みたいな紫式部の新人君みたいな心理とあいまってドタバタさえ感じられるんだが、ドラマは滑稽にせずにうまくやってた。もう三〇年の前の本文の記憶だから本文をたしかめてみなくちゃならぬ。

われわれはなぜか多くのことに対するやる気を失って、実際体が動かなくなってきつつアルのだが、家族と革命を両立するみたいなこともそうである。左翼は家族を破壊すると思い込んでいる皆さんは、ただちにレーニン全集の家族への手紙の巻ぐらいは読んでから考えて欲しい。レーニンは異常な筆まめな男で、いまだったら、ツイッターなんかにも怖ろしい勢いで論敵を二四時間体制で論破しつづけるやつであろうが、母親なんかにも実にまめに手紙を書いている。家族にもわりと気を遣う。

そういえば、香川県における例のゲーム条例の震源が政治家だったのは広くしられているが、本人の意図はともかく、政治離れはゲームによってかなり進むとみられる。(この前、宮台真司の番組でも言ってた――)政治家達は、ゲームそのものよりもその作用に本能的に抵抗しているのかもしれない。

いまどれくらい興行的なものにヤクザな方々が関わっているか知らない。しかし工業に類する事柄において、最初の渡りをつけたりする役目の性格はあまりかわらない。だから、それをヤクザが出来なくなったら、代わりにその役目が政治家に移動したり企業に移動したりといったことはおこる。マルクスのいう共産主義者とおなじで、ヤクザも普遍的にいつもいるのだ。こういうものが、実際は怨霊だと思うのである。だから、源氏物語の世界もほんものの怨霊を描いてはいないと思う。道長から平清盛に移ったようなものがほんものの怨霊である。

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