★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ダイガクセキモンマエ

2014-10-19 23:12:16 | 文学


 あるバスの女車掌は大学赤門前で、「ダイガクセキモンマエ」と叫んでいたそうである。
 ある電車運転手は途中で停車して共同便所へ一時雲隠れしたそうである。こうなると運転手にも人間味が出て来るから妙である。
 矢来下行き電車に乗って、理研前で止めてもらおうとしたが、後部入り口の車掌が切符切りに忙しくてなかなか信号ベルのひもを引いてくれない。やっと一度引くには引いたが、運転手は聞こえないと見えて停車しないでとうとう通り過ぎて行った。早く止めてくれと言っても車掌は「信号したけれども止めないです」と言って至極涼しい顔をしていた。これも誠にのんびりした話である。
 争議が解決した後も、いっその事思い切って従業員の制服を全廃して思い思いの背広服ないし和服着流しにする事を電気局に建言したらどうかと思ってみたのであった。

――寺田寅彦「破片」

都会のアリスとアッコちゃん

2014-10-18 23:32:00 | 映画


「都会のアリス」は好きな映画なのであるが、天使と一緒に旅しているうちに、自分も天使になりたくなって天高く舞い上がってしまったような男の話である。(←ほんとかいな……)

「ベルリン・天使の詩」も大学の時みて人並みに感激したつもりであったが、天使が地上に降りてくる理由が恋情なのはいまだに納得がゆかないのである。優等生の小学校六年生が思春期に転落して堕落してゆくのとおんなじではないか。相手がサーカスの女であることも、あるいは、「伊豆の踊子」みたいなものかもしれない。これに比べれば、例えば坂口安吾の「群衆の人」みたいなものの方が、天使たることの困難さと人間たることの困難さに直面していたのではないかと思うほどである。……ともかく、大学の時の私は、これは巧妙な政治からの逃避の映画だと思ったものだ。実際、「攻殻機動隊」やら「エヴァンゲリオン」やら、天使の問題と恋情の問題がいつも相関関係にあり、やれ天に昇ったやれ墜ちたと大騒ぎである。なぜ、その二つを切り離すことができないのであろうか。

現代の課題は、実際に人間として天使であることである。

……とはいえ、実際は我々は天使ではなく子供じみることで奴隷になろうとしている。

というのは、先日テレビで「ひみつのアッコちゃん」というのを観たからだ。私は、このアッコちゃんというのを手塚治虫原作だと思っていたくらいで、まんがもアニメも観たことがなかったのだが、細君はちゃんと変身の台詞まで諳んじていたから、わたくしの世代にとって何か思い入れがあるかもしれない。主演は綾瀬はるかさんで、大人の自分に変身してイケメン優男の働く化粧品会社の手伝いをしたりする話であった。どうみても主演女優の着せ替え映画だったので、中身はどうでもいいとはいえ、気になったのは次の点である。

・夏休みの宿題でコピペをやった綾瀬はるかに対して、担任の先生が「物事にはいい面と悪い面があって、コピペなんかすると頭に入らないんだよ」という誤った指導を行っていたこと。

・その結果、化粧品会社を乗っ取ろうとした、外国の軍事産業と繋がったヤクザもどきにたいして、株主総会で綾瀬はるかが「おじさんたちにもいいところがアルに違いない」と演説をぶち、物語のなかでそのヤクザもどきを殲滅し損なっていること。だいたい、そのあとそのヤクザもどきが工場爆破未遂までやらかしているのに、彼らがお縄になった形跡がない。

・魔法が解けて10歳に戻った綾瀬はるかである。が、惚れた17歳年上と一緒に働くために、がんばって勉強し嘗て詐称した早稲田大学にも入り就職活動でその化粧品会社を受け、なぜか全く老けていない思い人と再会したこと。たぶん二人は仲良く会社の奴隷に。

つまり、悪には目をつぶり、学校は就職のための手段、いや就職も恋愛のための手段といった企図すらはっきりしない、就職活動に際して自分が何を望んでいるのかさっぱり分からなくなるという仕組みを、今時の若人に対して楽しくすり込んでしまおうという悪質な映画なのであった。なぜ綾瀬はるかは、10歳から22?歳までの貴重な青春時代を、化粧品会社の優男のために費やしてしまったのであろうか。昔の少女まんがにとって、王子さまは架空の天使的なものであるが、それが大げさであればあるほど、読者は同時にしらけてもいたわけで、そのおかげで同級生のつまらん男子にも惚れるわけである。しかし、綾瀬はるかの場合は、自分が天使から大人の女に変化したことにあまり気付かずに、天使のまま、その優男を王子さまと勘違いした。しかも優男の方も、大人の女にしちゃ天使みたいなやつが現れたので、自分の仕事に役にも立つ理想の女そこにありと思ってしまった。要するに、二人とも、天使であることと大人であることをまぜこぜにしてしまったのである。もちろん、この勘違いは、職場が奉仕や目的実現の場というより「働かされる」の場であるということが分かっていない子どもに特有の現象である。ふつう、子どもは、思春期に絶対悪であるところの「働く汚い大人」を批判しているうちに、自分も同じように汚いことに気付いてゆくというプロセスをたどり、逆に天使たることのすばらしさを恋愛などで体験し、覚悟をもって社会に出て行こうとするのである。しかし、子どもが大人に交じって本当に楽しく労働してしまうとその過程を正しく踏むことができない。

何がいいたいかといえば、子どもに大人の労働を疑似体験させることが、如何に大人ではなく「就職」のことしか考えない「自分を天使と勘違いした奴隷」を生み出し、悪を放置させるかということである。大人にとっては、恋愛さえも労働の一部なのだ。そんなことをはやくから学ぶ必要があるであろうか。あっこちゃんは思春期の危機を奇跡によって救う話ではなかったのか?やはり商人たちは、学校と青春が邪魔でしょうがないのだ。

結論1:ベルリンの天使は恋愛して、そのあと如何に働いたのであろうか。

結論2:阪神が巨人に4連勝。日本シリーズ進出決定。阪神おめでとう、巨人はくたばれ。

間違い

2014-10-17 22:45:23 | 文学


エヴァンゲリオンてこんな感じだったか?

今日は、岩田宏の「動物の受難」の解釈をしたんだが、しゃべりながら、そういえば「犬夜叉」と「るろうに剣心」を混同していたことに気がついた。

うらやましアニメ業界

2014-10-17 19:50:08 | 漫画など
近くで「エヴァンゲリオン展」がやってたので見に行ってみた。原画とかレイアイウト原画とかが沢山飾ってあった。



エヴァンゲリオンてこんな感じだっけ?

わたくしのロボットのイメージはマジンガーZとかど根性ガエル(←違った)で作られているので、たぶん今の若者とは見えかたが違っているはずである。

「永遠の0」程度でも感心する若者が多くなっているような気がして暗澹たる思いであるが、気合いを入れて作品を作ったら若者がそれにつづいてゆくのは確かなのであろう。

というのも、こういう展覧会に来ると、中高生たちが友と連れだって、「私が脚本やるから、××ちゃんはアニメ作ってよ」などとくそまじめな顔をして、そこここで話し合っており、「すごい」「すごい」と、生き生きと脳が働くのはこういう時だという顔つき……そういうものをみるからである。世間に負けるな若人よ。わたくしもまだまだやれるはず。

さだめしこの室生君自身の干物を

2014-10-16 23:23:10 | 食べ物


里見君などは皮造りの刺身にしたらば、きつと、うまいのに違ひない。菊池君も、あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくへば、脂ぎつてゐて、うまいだらう。谷崎潤一郎君は西洋酒で煮てくへば飛び切りに、うまいことは確である。
 北原白秋君のビフテキも、やはり、うまいのに違ひない。宇野浩二君がロオスト・ビフに適してゐることは、前にも何かの次手に書いておいた。佐佐木茂索君は串に通して、白やきにするのに適してゐる。
 室生犀星君はこれは――今僕の前に坐つてゐるから、甚だ相済まない気がするけれども――干物にして食ふより仕方がない。然し、室生君は、さだめしこの室生君自身の干物を珍重して食べることだらう。

――芥川龍之介「食物として」

なにもなし(追伸)

2014-10-15 01:20:20 | 音楽
ちなみに「地球防衛未亡人」のオープニングは、今の天皇の結婚祝いに作曲された團伊玖磨の「祝典行進曲」で、出演者の壇蜜、モロボシダンと繋がっているだけでなく、主人公がアメノウズメの子孫ということで……

台風桐壺来襲

2014-10-13 17:52:56 | 文学


これからわたくしは、文学作品にでてくる女性の名前を、台風につけることにしました。

今回のは「台風桐壺」です。短命でかわいそうなひとだから大丈夫だろう。いじめの恨みがすごくたまっている可能性はあり……

カープ女子の群れに紛れてみた

2014-10-13 13:05:02 | 文学


昨日は神戸でお仕事だったのだが、台風が来ている早く帰らにゃと思って、みどりの窓口に突撃しようとしたところ、新神戸駅はカープファンでごった返していた。阪神に引き分けて惜しくも巨人軍を叩くチャンスは失われたが、ことしのカープは強かったといえよう(一試合も見てないが)
で、ちょっぴりハイのファンたちがざわついたと思ったら、スーツを着たでかい男たちが何人かあらわれた。カープの選手たちである。やっぱり大きいなと感心しているわたくしの周りで、スマホで写真を撮ろうと走り出す人とか、「マエケンチョーカッコイー」とか叫んでいるカープ女子中学生などが居たが、びっくりしたのは、選手の近くにいたカープ女子たちが一斉に


「お疲れ様でーす」


と言っていたことである。


……何か違う。

すると突然、横にいたおじさんが「ケンジロー」と大声で叫んだ。どうやら監督も群衆の中にいたらしい。ある場所でぱちぱちと拍手がする。

「助けて……」
 尤も声も出やしなかつた。暫くしてから、腹部に針金のやうに張つてゐた棒みたいのものが漸く少し弛んできたので、引きずるやうな足を曳いて逃げようと焦つてみた。どうにでもして逃げ出したいと焦つたけれど、さういふギゴチない身体のもどかしさと同時に、もうどうすることも出来ないのだといふ絶望が火の玉のやうに胸に籠つて、やがてそのへんの肉が粉のやうに砕けてゆくのが分つた。先生は絶望のしるしに手で頭を抱へようとしたが、うまく頭を押へることが出来ずに、手は大きな波のうねりとなつて頭の前後左右へグラグラとだらしなく舞ひめぐり、しつかと押へることが出来ないのであつた。
 もう逃げられないのだし、逃げたつてどうにもならないのだと分ると、先生は子供のやうに顔中を泪で汚してしまつて、フラフラと歩いて行つてベッドの上へ重つて倒れてしまつた。そして痩せこけた冷い奴の肩をつかんでそいつの胸へ顔を当て、本当にウォンウォン泣きじやくつてしまつて、
「お母さん、お母さあん、お母さんてば……」
 それだけがボキャブラリイであるやうに、一生懸命にさう言つて泣き喚かずにはゐられなかつた。その喚きを何べんも何べんも繰返してゐるうちに、熱くるしい泪の奥へ声も身体も意識もだんだん縮んで細くなり、消えていつてしまふのが感じられた。

――坂口安吾「群衆の人」