この世に絶対的なものってあるでしょうか?
人は、絶対的な真理を知りたいと宗教に走り、教祖の言ってる事を鵜呑みにして絶対視したりします。
でも世にはそれ以外の宗教も数多有る訳で、このこと自体相対的状況で成り立っているという事は、よく考えれば分かりそうなものなのに、「信じる事」
というものはかくも人を盲目にしてしまうものなのでしょうか…
かく言う私も突拍子の無い、さじ加減を弁えない言動の数々で、幾多の人をドン引きさせ、凍り付かせ、そういう人間の様に見られているのかも知れませんけど…。
特定の宗教、教祖を絶対視する傾向は分からないでもありません。
そうなっている本人は気が付かないでしょうが、おそらく内なる絶対的なものを投影させているのでしょう。
内なる絶対的なるもの…それは巡り合ったら自ずと分かります。
それは世の宗教のように、任意に選ぶことは不可能です。
貴方が生まれる以前から決められていることだからです。
もし、そこからの音信が貴方に届いた時、貴方に導きの手がかかった時、同じようにもはや選択の余地は有りません。
貴方はそれに委ねるより他道は無いのです。
あるいはそれを拒むことも出来るのかも知れない。
でも、その時貴方はこの世に生まれた理由を見出すことは、もはや出来なくなるでしょう。
この先何回生まれ変わっても(転生というものが有るとして)そうした奇縁に巡り合える保障などどこにも有りません。
その道ではどっかの教祖にあやかって、信じ従うのでしょうか?
まさか!ですよね…
神になる修行でもするのでしょうか?
いいえ、貴方は貴方自身になるのです!
貴方自身以外、他の何人も貴方の代わりに生きることは出来ません。
だから唯一絶対的な道なのです。
宗教では通用する借り物は一端手放さないと、その門をくぐることは出来ません。
信仰というバーチャルな世界、思い描いたような世界では無く、疑いようのない現実に直面するのです。
しかし、ご注意あれ!
この事は貴方自身には真実ど真ん中かも知れませんが、他のいかなる人にも当てはまりません。
いや、多分当てはまっているのでしょうが、その時にならないと分かりません。
もし、この絶対的なものを他人に押し付けようものなら,たちどころに目も当てられない相対地獄に落ちるのがオチです。
他の人には他の人の絶対的なものが有るからです。
何人も他人の至聖所を犯すことは出来ないのです。
人が何に共感し、何に喜び、何を悟ったかなどアカの他人が分かり様ハズなど無いのです。
ましてそれをジャッジしよう、などと言うのはナンセンスの極みです。
ただし、貴方のことを貴方以上によく知ってる人は例外です。
それは貴方にとってもはや他人では無いハズ…本物の導師です。
しかし…見える導師?生身を持った導師と巡り合うというのは実に稀有な事ですね…。
今のこの時代、誰が何と言おうと「体験すりゃいいってもんじゃない!」と言おうと、人が絶対的なものに会う機会は驚くべき頻度で起きています。
これは誰にも止められない…
人類全ての内なる絶対的なものが自己開示し始めているのでしょう…
人は、絶対的な真理を知りたいと宗教に走り、教祖の言ってる事を鵜呑みにして絶対視したりします。
でも世にはそれ以外の宗教も数多有る訳で、このこと自体相対的状況で成り立っているという事は、よく考えれば分かりそうなものなのに、「信じる事」
というものはかくも人を盲目にしてしまうものなのでしょうか…
かく言う私も突拍子の無い、さじ加減を弁えない言動の数々で、幾多の人をドン引きさせ、凍り付かせ、そういう人間の様に見られているのかも知れませんけど…。
特定の宗教、教祖を絶対視する傾向は分からないでもありません。
そうなっている本人は気が付かないでしょうが、おそらく内なる絶対的なものを投影させているのでしょう。
内なる絶対的なるもの…それは巡り合ったら自ずと分かります。
それは世の宗教のように、任意に選ぶことは不可能です。
貴方が生まれる以前から決められていることだからです。
もし、そこからの音信が貴方に届いた時、貴方に導きの手がかかった時、同じようにもはや選択の余地は有りません。
貴方はそれに委ねるより他道は無いのです。
あるいはそれを拒むことも出来るのかも知れない。
でも、その時貴方はこの世に生まれた理由を見出すことは、もはや出来なくなるでしょう。
この先何回生まれ変わっても(転生というものが有るとして)そうした奇縁に巡り合える保障などどこにも有りません。
その道ではどっかの教祖にあやかって、信じ従うのでしょうか?
まさか!ですよね…
神になる修行でもするのでしょうか?
いいえ、貴方は貴方自身になるのです!
貴方自身以外、他の何人も貴方の代わりに生きることは出来ません。
だから唯一絶対的な道なのです。
宗教では通用する借り物は一端手放さないと、その門をくぐることは出来ません。
信仰というバーチャルな世界、思い描いたような世界では無く、疑いようのない現実に直面するのです。
しかし、ご注意あれ!
この事は貴方自身には真実ど真ん中かも知れませんが、他のいかなる人にも当てはまりません。
いや、多分当てはまっているのでしょうが、その時にならないと分かりません。
もし、この絶対的なものを他人に押し付けようものなら,たちどころに目も当てられない相対地獄に落ちるのがオチです。
他の人には他の人の絶対的なものが有るからです。
何人も他人の至聖所を犯すことは出来ないのです。
人が何に共感し、何に喜び、何を悟ったかなどアカの他人が分かり様ハズなど無いのです。
ましてそれをジャッジしよう、などと言うのはナンセンスの極みです。
ただし、貴方のことを貴方以上によく知ってる人は例外です。
それは貴方にとってもはや他人では無いハズ…本物の導師です。
しかし…見える導師?生身を持った導師と巡り合うというのは実に稀有な事ですね…。
今のこの時代、誰が何と言おうと「体験すりゃいいってもんじゃない!」と言おうと、人が絶対的なものに会う機会は驚くべき頻度で起きています。
これは誰にも止められない…
人類全ての内なる絶対的なものが自己開示し始めているのでしょう…