「唯だ忽然はつと思ふ今までの我が我ならぬ我と相成…(中略)謂わば無限の深き寂しさの底ひより堂々と現前せる霊的活物とはたと行き會ひたる…(中略)驚喜の意識は、到底筆舌の盡くし得るところにあらず候。」綱島梁川(病間禄)
フウー…書くのも苦労、読むのも苦労…読みづらい文章で済みません。
何分、唯でさえ難しい明治時代の旧文体である上、一種独特の詩的表現で綴られている故です。
綱島梁川(つなじまりょうせん)。
(難解である故、無理におすすめはしませんが、古書店で岩波文庫版「綱島梁川文集」が見つかるかも知れません。)
戦後生まれの方には馴染みが無いかも分かりませんが、この人の名はわが人生の裏側的?宗教、哲学の先人として永久に記憶されるべきであります。
彼が明治38年に3回起きた所謂「神を見た」という体験を雑誌に投稿したところ、これが各方面から大反響を呼び、それまで倫理学者、美学者として知られていたのが、たちまち「見神体験をした神秘主義者」として見られるようになりました。
その反響が如何に大きかったか…彼の文章に対する識者の批評文だけで一冊の本になったくらいです。(見神論評)
それを読むと…精神病理学の立場からヒポコンデルの一種と決めつけるもの…彼に対抗してか、別なる見神、見性、見仏?体験を披歴するもの…など実にカラフルなもので、この時代の精神世界の高揚ぶりを伺い知ることが出来ます。
ただ何時の時代にも外側からは伺い知れない本人の内面に触れ得ずして、好き勝手に批評する人は居るものだな、と思いますね。
中には芙蓉道人なる人物による実に真摯な、これらの世論に対する批評も有ります。
彼はそこで「見神」という表現から受ける誤解について、それは実際に神を見えるもののように見たのでは無く、彼の「火を見るより明らかな霊的事実」を記したのだと弁明しています。
そうです!これは紛う事無き覚醒体験に他なりません!
当時はこういう言葉も無ければ、事例も殆ど知られて無かったのです。
「一心不乱に拝んでたら、神様がお出ましになった」と誤解されても仕方無かったのですね。
大僧正とか教祖さんとかでなく、一書生のような人が「吾が見たりし神は、事実の神也、意識直接の自證の神也、当面現前の神也…」(病間録)と
自身の宗教的回心の模様をリアルな美文で書き表したのです。
いやあ、この表現力… エッ、一世紀も前! 参りましたね!
「神の子の自覚」とか「永遠性の問題」など、掘り下げるべきテーマは沢山有りますが、私が一際目が釘づけになったのは次の文章です。
「若し一人真に神子の自覚を有するものあらば、誠に人類の力也。
若し二人以上この自覚を有するものあらば、そこに神国の実現あるべし。」(同書)
彼には神の国の青写真とも言うべき、内なる共同体の直観が有ったのは明らかです。
そして神の国の実現には、最低二人以上の神の子に目覚めたものが要ると言うのです。
これは単なる主観的な事と片づけられてしまう領域から、客観的領域に一歩、歩み出すという事を示しているのでしょう。
どんなに小さなものであろうと、真実に「神とともにある」喜びを共有出来る繋がりにおいて、我々は神の国のおとづれに預かることが出来るでしょう。
若くして病没した宗教的天才綱島梁川…彼の周囲の無理解、孤独感といったものは如何程のものだったろう…
彼は生前「神子の自覚」を持った対手を見出したのだろうか?
しかし、かの国で彼は今、確かな手ごたえを感じ、我々を見守ってくれているのではないでしょうか…。
神の国の地上応現は実に見えるものと見えざるものとの共同によって行われるのです…。
フウー…書くのも苦労、読むのも苦労…読みづらい文章で済みません。
何分、唯でさえ難しい明治時代の旧文体である上、一種独特の詩的表現で綴られている故です。
綱島梁川(つなじまりょうせん)。
(難解である故、無理におすすめはしませんが、古書店で岩波文庫版「綱島梁川文集」が見つかるかも知れません。)
戦後生まれの方には馴染みが無いかも分かりませんが、この人の名はわが人生の裏側的?宗教、哲学の先人として永久に記憶されるべきであります。
彼が明治38年に3回起きた所謂「神を見た」という体験を雑誌に投稿したところ、これが各方面から大反響を呼び、それまで倫理学者、美学者として知られていたのが、たちまち「見神体験をした神秘主義者」として見られるようになりました。
その反響が如何に大きかったか…彼の文章に対する識者の批評文だけで一冊の本になったくらいです。(見神論評)
それを読むと…精神病理学の立場からヒポコンデルの一種と決めつけるもの…彼に対抗してか、別なる見神、見性、見仏?体験を披歴するもの…など実にカラフルなもので、この時代の精神世界の高揚ぶりを伺い知ることが出来ます。
ただ何時の時代にも外側からは伺い知れない本人の内面に触れ得ずして、好き勝手に批評する人は居るものだな、と思いますね。
中には芙蓉道人なる人物による実に真摯な、これらの世論に対する批評も有ります。
彼はそこで「見神」という表現から受ける誤解について、それは実際に神を見えるもののように見たのでは無く、彼の「火を見るより明らかな霊的事実」を記したのだと弁明しています。
そうです!これは紛う事無き覚醒体験に他なりません!
当時はこういう言葉も無ければ、事例も殆ど知られて無かったのです。
「一心不乱に拝んでたら、神様がお出ましになった」と誤解されても仕方無かったのですね。
大僧正とか教祖さんとかでなく、一書生のような人が「吾が見たりし神は、事実の神也、意識直接の自證の神也、当面現前の神也…」(病間録)と
自身の宗教的回心の模様をリアルな美文で書き表したのです。
いやあ、この表現力… エッ、一世紀も前! 参りましたね!
「神の子の自覚」とか「永遠性の問題」など、掘り下げるべきテーマは沢山有りますが、私が一際目が釘づけになったのは次の文章です。
「若し一人真に神子の自覚を有するものあらば、誠に人類の力也。
若し二人以上この自覚を有するものあらば、そこに神国の実現あるべし。」(同書)
彼には神の国の青写真とも言うべき、内なる共同体の直観が有ったのは明らかです。
そして神の国の実現には、最低二人以上の神の子に目覚めたものが要ると言うのです。
これは単なる主観的な事と片づけられてしまう領域から、客観的領域に一歩、歩み出すという事を示しているのでしょう。
どんなに小さなものであろうと、真実に「神とともにある」喜びを共有出来る繋がりにおいて、我々は神の国のおとづれに預かることが出来るでしょう。
若くして病没した宗教的天才綱島梁川…彼の周囲の無理解、孤独感といったものは如何程のものだったろう…
彼は生前「神子の自覚」を持った対手を見出したのだろうか?
しかし、かの国で彼は今、確かな手ごたえを感じ、我々を見守ってくれているのではないでしょうか…。
神の国の地上応現は実に見えるものと見えざるものとの共同によって行われるのです…。