人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自らを信じよ

2014-11-25 16:44:42 | 求道、探究
わが宗門、仮名「唯我独尊教」ではいくつかタブーが有ります。
まず他者に対しての自説の押し売りはしないこと。
色々エラそうに発信する事はあっても、どう受け取るかは他者の自由に任す、と全く言うまでもないことですが…。
自分に対しては「これしかない!」などと血迷って思いを固めて、通気口を塞がないこと。
もし、これに違背ある時は、即破門¡…何てこたア、ないか…。
要するに人にも自分にも思いを固めて、普遍世界よりの息吹を閉ざしてはならないということです。
これを言い換えれば「自分自身を信じること」人には「あなた自身を信じて下さい」ということですかね。
「一寸待った! そんなことしてたら自己中になるでしょうが…」という声も聞こえてきそうですが、ホントに自分を信頼してたら、そうはならないですね。
どっからか「片意地張らんでいいよ」という響きにつつまれ自分も許せるし、人も許せるようになりますから…。
むしろ頑なになってしまう時というのは、自分以外の何か…特定の人物、教えなどを信じ込んで、観念のトリコになっている場合が多いですね。
自分では神とか宇宙とか、さも広大無辺な世界を信じているつもりでも、実際は特定の宗教に閉じこもったきりだったりするのです。
プラトンの「洞窟の比喩」の中で、洞窟の壁に縛りつけられている囚人が、そこに映じられた影を全世界と信じ切っているように…。
自分の中にしか絶対的なものは無い!
これもいくら強調しても足りません。
たとえ他のことはウソだとしても、これだけはホントです。
さもなけりゃ、あなたも私も世界もありゃあしない、のです。
宗教では、自分の思いとかを入れちゃあいけませんよ!それは我なんですから…などと言います。
それも一理あります。
でも盲目的信仰も又我に他なりません。
それもより一層質の悪いものです。
周囲も自分自身も信じることは、正しいことだとそれこそ信じて疑わないからです。
だから救いようが無いのです。
誰かにハンマーで石頭を砕いてもらわないと、永久に変わらないでしょう。
それだったらエゴ丸出しで生きていた方がずっとマシです!
それでも神を、イエス様を、OO先生を信じたい…。
分かりますよ。
信仰なんてやめちゃえ!何てヤボな事言ってる訳じゃないですから…
それでも自分自身の信頼は忘れないで欲しいですね。
私の導師は姿を見たことなく、全く正体不明ですけど、もしイエスとして現れたら私はキリスト教徒になっていたかも分かりません。
イエスに明け渡し、イエスを通して永遠、普遍世界とつながることも有るでしょう…。
聖書ではそういう事言ってるんですよね?
でも本物の導師は、その世界はあなたの中にあるという事を告げるのです。
かくして導師と自分は一つになるのです。
ブッダは言う「自らを灯とせよ」
イエスは又言う「天国は汝らの中に有り」…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする