人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

八百万の神

2014-11-15 17:27:47 | 日本的霊性
日本人の宗教は八百万(やおよろず)の神の信仰だ、なんて当たり前のように言われてますね。
だけど、ホントにそうなんですかね…
欧米人はキリスト教、アラブ諸国はイスラム教…と言うように、日本人の宗教は…みたいに当てはまっちゃうんですか?
まさかあ…こんな現実に即してない事が一般常識みたいになってるんですか!
ウソだと思ったら周りの人たちに聞いてみたらいいです、「あなたは八百万の神様を信仰してるんですかと?」と。
「ハア?…」ときょとんとした顔されるのがオチです。
これをちょっと視点を変えて、日本には神社も有れば、お寺も有るし、教会だってある、新宗教も有れば、邪教でさえ、存在を許されている…
(いいか、悪いかは別としてテロを行使した宗教が即刻解散せずに存続しているところに、この国の不思議さを感じます。)
このような様々な神様が、様々な有り様で共存している様相を差して言われているのであれば、分からないでもありません。
神戸の元町へ行ったら面白いですよ!神社、お寺は勿論、カソリック教会に、回教寺院、ユダヤ教のシナゴーク、道教風の関帝廟、確かジャイナ教
寺院なんてのも有ったかな…楽しそうですね!一日に全部廻ってみたいな…勿論神妙にお祈りをするんですよ。
(カッコだけですけど…)
一日に三回違う宗教を廻った事ならありますよ、学生時代に。
大本でしょ、バハイ教、道院紅卍字会。(後の二つはナン? いずれも出口聖師の縁で大本と提携していたイラン、中国の団体です)
「不謹慎じゃないか!」という声が聞こえてきそうですが、私は全くそういう事には抵抗無く立ち回れます。
多分、この国に生を享けたからじゃないでしょうか?
元々そういう傾向は有りましたが、入っていた新宗教の呪縛から解放されてから、いっそうそうなって来ました。
確かそこを辞めてから数日後、空が真紅から紫に変わりつつあった夕昏時、沈黙の声がこうささやいた気がしました。

  お前はこれから自由に何でも縁を借りて、好きなように学ぶがいい
  ホラ、お前の前には色とりどりの学びの縁が有る
  さあ、手をのばすが良い、一歩踏み出すが良い
  ただし、私自身の通り道を開けといてくれよ
  私が通るその時までお前の学びは終わらないんだよ

宗教の枠とか相違など、乗り越えて行けという強い促しを感じました。
それはあたかも宗教の呪縛を吹っ切らせようとしている様でした。
そしてまだ見たことも無い様々な宗教が共存しながら、暮れゆく空に広がっている様でした。
そしてまた数年後、今度はハッキリとあらゆる宗教的なものが、それぞれの色合いで一なる大生命に根を持ちながら共存しているのを感じました。
それは表面的には、相対的な群雄割拠の様態を示している宗教に内包されているものでした。
このような普遍調和的な宗教的世界がもし、この世に具現化するならば、そのモデルケースとして最も近い国はこの日本を置いて他にはないでしょう。
我々は宗教間の戦争も知らず、一つの宗教による支配というものも知りません。
確かに我々の古来の宗教を借りて、外来の帝国主義が権力を欲しいままにした事は有りました。
しかしどうしたってこの国では、あの調和世界を覆い隠してしまうようなことは行われないようです。
こんなこと言ってる私は右よりの人間と思われるでしょうか?
どう思われようと構わないです。
ただこの国に生を享けただけですから…。






コメント
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