人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

統合の時代

2015-10-15 18:20:47 | スピリチュアル
現代は、統合の時代を迎えている、と言われています。
ノンデュアリティなどが台頭してきたのも、このような背景があるように思います。
まるで二元対立の時代は終焉した…とのノロシを打ち上げているようですね。
確かにこれまでの我々の歴史はあまりにも分離感に基づく相克の繰り返しばかりだったという感が有ります。
ある人は、悠久の昔、神も人も一つにつながっていた、ワンネスの状態があったといわれ、それが分離のプロセスを経て、再びワンネスへと統合されていく…と言っています。
本当のところはどうなのかは、神に聞いてみないと分かりません。
あるいは神は”相克なんて元々無くて、幻想に過ぎないんだよ…分離なんていう過渡的状態というのも無くて、元々神も宇宙も人間も一つの全体しかなったんだよ…”と答えるかも知れません。というよりそういう事は生身の人間には言えることではありません。
万事神の仰せの通りだったら、そうなっているんだったら何を言ってもムダでしょうが、私は以前、どっかから”お前はどうあったらいいと思うか?得心の行くまで感じてみられよ!”と促された事が有ります。そこには決まったものなど無いのです。
そこで皆さん(これはハッタリでも全人類に向けているつもりです!)の本心に聞いてみたいです。
”分離した個など無いという、あなたはそれで満足ですか?納得出来ますか?”と…
私は自分が自分でなくなってしまう事など、考えたことが無く、考えることが出来ません。今までもそうだったし、おそらくこれからも…
何が自分なのかは分からないけど、他の誰でも無い”私はある”という感覚は否定しようが有りません。
非二元論者は言う、個は幻想に過ぎない、と。
そうですね。多分無かったんでしょう…一度たりとも…個的なものが生きていた時代など無かったと思います。
個人主義の時代が有ったかのように語られていても…
考えてもみてください。家庭、学校、職場、社交場、教会…そこであなたはあなた自身で居られたことなどあっただろうか?
それはあなたしか居ない孤独な状況においてすら、本当に個でありえたでしょうか?
もし、そこで強い孤独感に苛まれているとしたら、他の誰かへの依存を感じているという事でしょう…
自我の確立という事なら文明人なら物心付いたら刷り込まれていますが、これと個的なものの実現とは全く違います。
他への依存という事を言いましたが、本当は個というものはそれだけで切り離されたものじゃないようです。
それだけでは、それ自体で生きられない断片に過ぎないでしょう。
一つ、そこにポツンとあるようなものでなく、周りと切り離されていない統合された何かを感じさせます。
だがそれ以上に考えることが出来ないのは、全ては元々全体しかないという非二元的な言葉です。
それを考えている人間すらいないのですから…
でもこうした言葉は、どうしても打ち消すことが出来ない”私はある”を意識させてくれます。
それは一なるものと結びついているからだと思います。
私は一なるもの、というのをここで二重の意味で使っています。全体的なもの、個的なもの、どちらもの一なるものです。
それは結びつくことによって、それぞれをありやかに示されるのではないでしょうか?
この現実世界では、全体も個も統合された時、初めて生きたものとなるでしょう。
我々の無意味とも思える歴史も、その断片的に見えるものに統合性が与えられることによって、観方も変わってくるでしょう。決定されたものなどないのです。
私には現代は、すべてが統合された時代、かつてのワンネスの再現というより、全的なものと個的なものの統合の時代の到来に映っているのです。
これには”そうなっているもの”が示されるばかりでなく、おそらく”かくありたい”というものも反映されることでしょう。
真相は神に聞いてみないと分かりませんが…
私はただ、垣間見たままを語っているに過ぎないのです…。勿論決まったものでは無いです…。




















コメント
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