人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

日の当たらない裏通りで

2015-10-08 13:55:21 | 雑感
ついこないだまで、日当たりを避けていたのに、昨日など北風ヒューヒュー吹きまくり、明るい表通りが恋しくなりました。

私はただの無名のブロガーに過ぎません
誰が読むのか、吹けば飛ぶような記事…
もっと日の当たるところでは、エッ、何々どっかで誰かが、堪忍袋の緒が切れて行動を起こしたって…
シンパのかなりの人たち、事の成り行きを知らなかったんだって…
こりゃあ、ビックリですよ!あっちもこっちも…
実情を知ろうにも封印されてしまったじゃないの…何時日の目を見るのか…
で、脱スピ闘士の誰かを捕まえて直談判したって…
こんなこと”私しゃ、知らん!”で済ませられることです。
勝手にやったらいいじゃないですか…
当然のことながら私は当事者じゃないですから…
傍観者なんですとも…
けれど…当事者たち、連日スピ・ビジへのプロテストに明け暮れていた闘士たちは、どう思っているか知らないけれど、私はこの一連の動きを”私自身の問題”として観ていました。
無関心ではいられなかったんです。
私はAさんの本を初めて読んだ時、”この人と直に話し合ってみたい”と強く思ったものでした。
ところが二年前、彼の講演会に行って、彼はもう雲の上の人だと感じました。
当初イメージしてたものと違い、さながら昔行った新宗教の大会のようでした。
もう過んだ話ですが、三か月ほど前、騒動が起きた時、Aさんは宿敵?Mさんに話し合いの申し入れをした事が有りました。
私は一瞬その時、Aさんに対しとても善意を感じました。
ところが、その形というのが全くの欺瞞以外の何物でもありません。
あっちの土俵に赴ての公開討論会? ”バッカでねーの!”
賢明なMさんは勿論応じるわけありません。
今回、Aさんは電話という手段だったそうですが、直に話し合いをするという事の大切さが分かったそうです。
こういう事は一対一に限るんですって…これからは”やり込み上手””何をやらかすか分からないキケンなオッサン”のイメージを如何に払拭させるかですかね…(余計なことでした)

この現実世界では、誰かが言葉を発し、行動をおっぱじめ、それに反応した誰かは又、それに対し言葉、行動で返す…
言いっぱなし、やりっぱなしで逃げるもの、知らんぷりを決め込むもの…程度の差に応じて影響を与え、与えられ合ってるのがこの世界です。
その場その場では気づかなくても、時にそこに我々が思いもよらなかった事象が、我々の手の届かないところで立ち上ることも有ります。
それを目の当たりにした時、初めて我々は”事がただ起きているだけだ…”という事を実感するのではないでしょうか?
そこには教師も居なければ、信者も居ない、又誰もが教え、誰もが教わる…
何が非二元だとか二元だとか…空論だったら好きなだけしていたらいいです。
私は今、何かが実地に示され、何かが生まれ出ようとしている…見えないところで進行しているあるものを感じています。

事の成り行きを今後も”私自身の問題”として観て行きたいです。日の当たらない裏通りで…。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする