あなたにとって最高のもの、最善のものとは何ですか?
それは全くもって、他の誰かや世人にとってでなく、あなた自身にとってのものです。
そういうものは別段分かる事も、求める事も必要ありませんか?
たとえ、あったとしても手に入らないと思って、諦めてしまいますか?
私は多くの人を見てきて、本当にこの人はその人にとって最善のものに預かっているのだろうか…
自分にはこれが相応のものだとして、とりあえず自分の信念とかで、最善のものにしているように思えてしまうことがしばしばあります。
これが自分の運命だ、自分の人生はこんなものと決めつけて、そこから一歩踏み出そうとしないようなのです。
手をのばせば、すぐそこにあるのに…ああ、何と勿体ない…
それも人の生き方はそれぞれだし、本人にしか決められない事なので、どうしようもありませんね。
でも、もしどうしても、こうしても自分の内に魂の声ともいうべき、より最善なるものへの希求があるのでしたら、それに素直に向き合う事が賢明です。
魂は誤魔化すことが出来ません。いい加減なもので妥協してていいのでしょうか!…
偉そうに言っていますが、実は私も何が自分にとって最高、最善のものなのか分かってません。
というか、これはのっけからおかしなことを問うているみたいですね。(済みませんでした)
最高、最善のものというのは何なのか分からないもののようです。
これが最高なんだと捉えたつもり、分かったつもりが相応のものに甘んじて、運命を決めつけてしまう事になってしまうんですね。
でも、その心の牙城が崩壊した時、少なくとも最高のものとは思われたものでないということことが分かります。
思い込みとか信念などちょっとやそっとでは崩壊することは出来ないものと思われますか?
いいえ、何の努力も要りません。いや努力程場違いなものは有りません。
そのハンマーは無上の喜びと共にハートに打ち込まれるものなのですから…
つまり、最高、最善に通じているものとは最高の幸福、至福に通じているものと言っていいでしょう。
私はここで、より高い霊的な進化とか究極の真理の話をしているのではありません。
魂に何の安らぎをももたらさない真理など有っても、人間でなくなってしまったらしょうがないです。
魂は喜びのあるところに赴くのです。
愛、喜びが生けるものすべての原動力ではないでしょうか…
最高、最善のものを思い描きつつも、相応のもので諦めてしまうのは、それは一つ一つ積み重なれて、段階を上ってたどり着くものだと思い込んでいるためではないでしょうか?
それは決してチッポケな、思われた自分が、それを目差して到達したり、獲得するものではありません。
隠れていたものが顕わになることで示されたりするものです。
それはどっかにあるんじゃなくて、ありのままの現実かも知れません。
至高なるものは捉えることが出来ません。
でも、私にとって考えられ得る最善の道とは、ありのままを受け入れ、降参することです…。
そっから先は…多分何が最高、最善か分からないでしょう…考えられないから…。
それは全くもって、他の誰かや世人にとってでなく、あなた自身にとってのものです。
そういうものは別段分かる事も、求める事も必要ありませんか?
たとえ、あったとしても手に入らないと思って、諦めてしまいますか?
私は多くの人を見てきて、本当にこの人はその人にとって最善のものに預かっているのだろうか…
自分にはこれが相応のものだとして、とりあえず自分の信念とかで、最善のものにしているように思えてしまうことがしばしばあります。
これが自分の運命だ、自分の人生はこんなものと決めつけて、そこから一歩踏み出そうとしないようなのです。
手をのばせば、すぐそこにあるのに…ああ、何と勿体ない…
それも人の生き方はそれぞれだし、本人にしか決められない事なので、どうしようもありませんね。
でも、もしどうしても、こうしても自分の内に魂の声ともいうべき、より最善なるものへの希求があるのでしたら、それに素直に向き合う事が賢明です。
魂は誤魔化すことが出来ません。いい加減なもので妥協してていいのでしょうか!…
偉そうに言っていますが、実は私も何が自分にとって最高、最善のものなのか分かってません。
というか、これはのっけからおかしなことを問うているみたいですね。(済みませんでした)
最高、最善のものというのは何なのか分からないもののようです。
これが最高なんだと捉えたつもり、分かったつもりが相応のものに甘んじて、運命を決めつけてしまう事になってしまうんですね。
でも、その心の牙城が崩壊した時、少なくとも最高のものとは思われたものでないということことが分かります。
思い込みとか信念などちょっとやそっとでは崩壊することは出来ないものと思われますか?
いいえ、何の努力も要りません。いや努力程場違いなものは有りません。
そのハンマーは無上の喜びと共にハートに打ち込まれるものなのですから…
つまり、最高、最善に通じているものとは最高の幸福、至福に通じているものと言っていいでしょう。
私はここで、より高い霊的な進化とか究極の真理の話をしているのではありません。
魂に何の安らぎをももたらさない真理など有っても、人間でなくなってしまったらしょうがないです。
魂は喜びのあるところに赴くのです。
愛、喜びが生けるものすべての原動力ではないでしょうか…
最高、最善のものを思い描きつつも、相応のもので諦めてしまうのは、それは一つ一つ積み重なれて、段階を上ってたどり着くものだと思い込んでいるためではないでしょうか?
それは決してチッポケな、思われた自分が、それを目差して到達したり、獲得するものではありません。
隠れていたものが顕わになることで示されたりするものです。
それはどっかにあるんじゃなくて、ありのままの現実かも知れません。
至高なるものは捉えることが出来ません。
でも、私にとって考えられ得る最善の道とは、ありのままを受け入れ、降参することです…。
そっから先は…多分何が最高、最善か分からないでしょう…考えられないから…。