人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私はウソは申しません!

2016-04-01 11:51:16 | 雑感
”ゴースト・バスターズが現実に…幽霊を捕獲出来る装置が開発された!”
仕事が休みなので、テレビを観てたら”トクだね”の菊川Oさんのリアクションに思わず”うっそー!”でした。これはテレビ史に残る春の珍事かも知れない…

私は今ノンデュアリティを標榜する教師の言説というのが、とてもウソっぽくて仕方ありません。
教える人が居て、信じ従おうという人が居るという、相対的な構図がはっきりあって、言葉を垂れたり、それを信じ込もうというやり取りが有ります。
でも、そこで何が語られようと、彼らが標榜する直接性とは関係ありません。
言葉を超えた直接経験というものが、いつの間にか自称覚者の押しつけがましい教説にすり替わってしまうのは、実に捉えられないはずの霊を捉えるような話ではありませんか?
直接経験とはそれ自体がノンデュアリティです。そこには教師も信者も居ない…
もし、そこにそうした関係のような二者が対自していたとしても、その媒介を通して両者を結び付けているエネルギーの交換が有るばかりでしょう。
誰かの教説、権威への追従を通さずにあなた自身に直接開かれ、あなた自身がそこで感じ、見て、理解したものが全てなのです。
アカの他人の御託など出る幕など無いのです!
私自身も時に出過ぎたことを言い放ったり、人を信従させてしまうようなことを言ったりすることも有るかも知れませんが、この本筋だけはどうあっても強調されねばなりません!…それと共に自戒の念も強くしている次第です。
大御所さんは、何の根拠が有って言ってるのか分かりませんが、覚醒体験、至高体験というものは、人生で一度しか起きない、と決めつけて言い切っていました。きっと多くの人はそれに接して”そうなんだ”ということにしたことでしょう…
もし、直接経験という事がどういう事か分からないのでしたら、何度でもその経験をしてみる必要が有るでしょう。
ただ、一つ言える事は、ことの初発では、堰が破られたように圧倒的な気づきがどっと中から噴き出してくるという感じで、爆発的なものになり易いもので、この種の突出した経験は一度しかないという事です。
”一度しかないものだ”と信じ込んでいる人には、多分一度しか訪れないのでしょう…
私の個人的な理解では、こうしたものには予震もあれば、余震もある…これは取りも直さず常に我々の内には地殻エネルギーが生成しているということではありませんか?
いつも言うように、体験というものは、有ったら有ったで受け入れたらいいし、無ければ無いでもいい…それは我々の意識の根底に息づいているものが、突出した形で表面に顕わになるというものです。
修行して到達したり、獲得できるものでも、操作したり、所有できるものでも有りません。
覚醒というものは、必要な人、そうした縁を持った人には起こるべくして起こる…
しかし、もっと本質的な事は体験が有ろうと無かろうと、ずっと意識の根底に息づいているものと共にある、ということです。
いや、もしその事を身に覚えているとしたら、それ自体そのものが顕わになっている、という事を物語っているのでしょう。
体験そのものに捉われると、気が付かなかったりするものです。

まあ、こんなことをいつも性懲りも無く興に任せて書いてる次第なのですが…
ウソかも知れませんよ!騙されちゃいけません!
カリスマ自称覚者の言説だろうと、誰も知らない地下室の住人のタワゴトだろうと…
ホントのホントのことはあなた自身が知っている! それ以外に真実は無い!
私は自分自身のホントを書いてるだけで、それはあなた自身のホントになるのかどうかは知らないです。
何であってもアカの他人に魂を売らないで、妥協しないで、いいかげんなところで手打ちにしないで、あなた自身のホントにどこまでも委ね従ってください!
そうであれば私もうれしい!これが今の私のホントの願いです!
私は逆説を生きているのです。一年に一度ぐらいはホントの事言いますよって…
ン?…

コメント
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