「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらわす世となれる、仏もキリストも何もかもはっきり助けて、七六かしいご苦労のない世が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ…。」(日月神示第一帖 ヒカルランド他、刊)
私の中にはいつも相反するものが同居しています。
実に目敏くて、コロコロと興味の矛先が変わる…。結果訳の分からない精神の遍歴が生まれます。
しかし、同時に初めて接して以来、ずっと何十年も手放すことの出来ないものもあります。
まるで初恋の人が忘れられないように…その一つは「日月神示」。38年前、初めてその小冊子を手に取って以来、私の関心は離れた事が有りませんでした。当時は知る人ぞ知る資料でしたが、今や所謂神サマ関係を超えて、宗教、スピ界で知られていますね。正直、神のお告げ、予言、超能力…いいかげんこういうものからは卒業しなければならない…と何度か思った事も有ります。(いや…自分で言うのも何だけど、もともと私はそれらにはクールなスタンスを取っていたっけ…)でも、何度読んでも、あの何とも言えない響きが伝わってくるのです。
この神示には今日実にこの種の色付けされた、通俗受け狙いの関連本で溢れかえっています。中にはそれらの色付いた本を読んで、この神示が分かった、掴んだつもりの人も散見します。それも結局は(肯定、否定問わず)その色に染まり易い人が勝手に染まっていくだけのことなのでしょう…
あの独特の神サマの言い回しにアレルギーを持つ人には無理には言いませんが、是非(どんなものでもそうですが)原書(勿論翻訳されたものです)に当たってみる事をお勧めします。
日月神示と言えば、もう言わずと知れた予言です。私はしかし、その事と結び付けて読んだことはほとんど無いです。
いつ、どこで何が起こる…どうして相も変わらずこのテの予言に関する短絡的な言説が後を絶たないのでしょうか?
日時を切った予言を流布することの危うさというものは、この神示の顕わされた一時代前、大正十年の大本教の予言狂騒曲が招いた、弾圧事件で教訓になっていることです。”末代に残すぞよ”と大本教神示でも示されていたことです。
そして”世の立て替え、立て直し”というものは、私やあなたの世界の立て替え、立て直しを離れて有り得るものでは無いはずです。
確かに神示には衝迫させるを予言的示しも少なくありません。
これは、昭和19年という太平洋戦争突入前夜に出された、上巻部分に集中しているのです。
しかし、幾たび読み返してみても私に感じられるのは、神と人を親子に見立てた、日本古来の神の道、生成と結び、愛の交流…といったものです。
それは、予言などに捉われていても伝わるものでは有りません。直に触れないと分かりません。
だから一先ず、色眼鏡を外し、脇に置き、生まれ赤子になったつもりで親しむ必要が有るのです。
ミタマ磨きというのも眼目は、こういうところに有るのではないでしょうか? 神示はよくヨミ、カムことか…
とは言え、”天子様”、”日本=ユダヤ同祖論”こういう関心も私には無い訳ではありません。
でも、それも数多の決めつけた色付いた解釈とは無縁です。
それらは心象に息づいているものであり、知恵によって取り込まれた時、心外な事態となります。
世に出るのは元の親なのであって、有象無象では無い!
誰だって天子様と言い得ようし、誰にも身もあれば魂もある(それがミタマか?)。それはミタマ親と一つとなった時、ありやかとなるでしょう。
”霊(ひ)の本はユダヤと一つになって世界をスメル…”というようなことは、ずっと私の心象にはあることですが、現実にどうなるかは知らないです。
要するに、信じる信じないかは皆さん次第です。では…Hello,Byebye(ずっと前、西荻でギャルと歩いているS氏を見た…これは、ヤリすぎか!)
私の中にはいつも相反するものが同居しています。
実に目敏くて、コロコロと興味の矛先が変わる…。結果訳の分からない精神の遍歴が生まれます。
しかし、同時に初めて接して以来、ずっと何十年も手放すことの出来ないものもあります。
まるで初恋の人が忘れられないように…その一つは「日月神示」。38年前、初めてその小冊子を手に取って以来、私の関心は離れた事が有りませんでした。当時は知る人ぞ知る資料でしたが、今や所謂神サマ関係を超えて、宗教、スピ界で知られていますね。正直、神のお告げ、予言、超能力…いいかげんこういうものからは卒業しなければならない…と何度か思った事も有ります。(いや…自分で言うのも何だけど、もともと私はそれらにはクールなスタンスを取っていたっけ…)でも、何度読んでも、あの何とも言えない響きが伝わってくるのです。
この神示には今日実にこの種の色付けされた、通俗受け狙いの関連本で溢れかえっています。中にはそれらの色付いた本を読んで、この神示が分かった、掴んだつもりの人も散見します。それも結局は(肯定、否定問わず)その色に染まり易い人が勝手に染まっていくだけのことなのでしょう…
あの独特の神サマの言い回しにアレルギーを持つ人には無理には言いませんが、是非(どんなものでもそうですが)原書(勿論翻訳されたものです)に当たってみる事をお勧めします。
日月神示と言えば、もう言わずと知れた予言です。私はしかし、その事と結び付けて読んだことはほとんど無いです。
いつ、どこで何が起こる…どうして相も変わらずこのテの予言に関する短絡的な言説が後を絶たないのでしょうか?
日時を切った予言を流布することの危うさというものは、この神示の顕わされた一時代前、大正十年の大本教の予言狂騒曲が招いた、弾圧事件で教訓になっていることです。”末代に残すぞよ”と大本教神示でも示されていたことです。
そして”世の立て替え、立て直し”というものは、私やあなたの世界の立て替え、立て直しを離れて有り得るものでは無いはずです。
確かに神示には衝迫させるを予言的示しも少なくありません。
これは、昭和19年という太平洋戦争突入前夜に出された、上巻部分に集中しているのです。
しかし、幾たび読み返してみても私に感じられるのは、神と人を親子に見立てた、日本古来の神の道、生成と結び、愛の交流…といったものです。
それは、予言などに捉われていても伝わるものでは有りません。直に触れないと分かりません。
だから一先ず、色眼鏡を外し、脇に置き、生まれ赤子になったつもりで親しむ必要が有るのです。
ミタマ磨きというのも眼目は、こういうところに有るのではないでしょうか? 神示はよくヨミ、カムことか…
とは言え、”天子様”、”日本=ユダヤ同祖論”こういう関心も私には無い訳ではありません。
でも、それも数多の決めつけた色付いた解釈とは無縁です。
それらは心象に息づいているものであり、知恵によって取り込まれた時、心外な事態となります。
世に出るのは元の親なのであって、有象無象では無い!
誰だって天子様と言い得ようし、誰にも身もあれば魂もある(それがミタマか?)。それはミタマ親と一つとなった時、ありやかとなるでしょう。
”霊(ひ)の本はユダヤと一つになって世界をスメル…”というようなことは、ずっと私の心象にはあることですが、現実にどうなるかは知らないです。
要するに、信じる信じないかは皆さん次第です。では…Hello,Byebye(ずっと前、西荻でギャルと歩いているS氏を見た…これは、ヤリすぎか!)