人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

善と悪の鏡

2016-04-23 14:33:23 | 人生の教師
「女子の身魂は、世界がこういうことになりて居るという事を、実地に見せて罪をとりて、人民をたすける御役であるから、人民の眼からは悪に見える事もあるぞよ。善に見える事もあるぞよ。」
(大本神諭 *女子とあるのは、出口王仁三郎の身魂の位格変性女子のこと)

宗教の教祖とかスピ界の教師というと、ことにその信奉者からは何でもかんでも美化して語られるものです。
当然ながらいくら生き神、聖者、覚者と称えようと彼らとて一人間であり、欠点も短所もある訳です。
新宗教の教祖さんでも、私は直接見聞きしている方もいますが、大体は壇上の特別な人といった風です。ただその新宗教のルーツ、大本教の出口王仁三郎聖師からは、全くそういうイメージは浮かんできません。
それでもいまでも出口聖師は、内外で救世主のように美化して見る向きも多いようです。
聖師については、こうした一面的観方からは、その生前の言動、事績がどういう事を示したものか、真実のところは見えてこないと思います。
大本は善と悪の鏡を出す役目があったという事を忘れてはなりません。
(間違ってはならないのは、善と悪…といってもそれはあくまで役目のことであり、人間自身がそうだ、という事では無いという事です。聖師さん自身は私にとりどこまでも訳の分からないオッちゃんです。)
”大本に起こることは日本に移写する…”聖師の主な事績から日本の、大日本帝国の動向が見えてくる…それは善にも悪にも見える…
例えば、聖師の大正時代の満蒙行脚の中で”諸宗教の道義的一致”という眼目のもと、世界宗教連合が発足しましたが、それは大本主導で行われていた面も拭い去れません。あたかも後に民族協和を掲げた満州国が日帝の傀儡になってしまったように…又この動向に呼応するように日帝の侵略思想のスローガンそのままのようなこんな歌も残しています。
「亜細亜とは葦原の意義あし原は わが日の本の国名なりけり」
「満蒙支那神代の領土なり とり返すべき時いたりつつ」
ただ、こうしたトーンで日本が推し進めた大アジア主義というものが、戦後アジア諸国が西欧の植民地からの解放の契機となったのも事実でしょう。

昭和に入ると聖師は周囲の反対を押し切って、軍隊を思わせる独裁的政治結社”昭和神聖会”を結成し、これが空前の弾圧の引き金となって、大本は壊滅に追いやられました。同じように日本も軍部の独裁化を強め、破滅的運命へとなだれ込んでいったのです。
ただ国家転覆を企図したものと思われていた、その結社の主たる目的は当時貧窮に喘いでいた農村の救済にあったのでした。これは戦後改善されるに至りました。

宗教家としての聖師について見ると、大本教の主な分派教団はこぞって、大衆への教線獲得を目指し、文書伝道、派手な宣伝活動などを通じてその布教戦略を踏襲していました。後に新宗教の有り様をイメージ出来るものの基礎を造ったと言えるでしょう。
それは広く大衆に神信心を浸透させましたが、如何にも内省を欠いた、浅薄なものに流れて行く傾向も造ってしまったようにも思えるし、それまで隠されていた古神道などの密教的な面をも大衆化させたという側面も伺えます。
いずれにしても、その宗教という仮の精神共同体は、官憲による弾圧により、撤廃させられる型となる運命にあったのです。
宗教大本の壊滅は、そのまま日本の敗戦、軍部の解体へとつながっていきます。
宗教、軍事力いずれも本来の人間の理想社会実現の障壁なのです。
これを知らずか、今日でも新宗教教団諸派は、教線拡大、宗門の勢力争い、分裂など、ほとんど宗教の本筋から外れた様相を呈し続けています。
そして新宗教の教祖の中には、自ら救世主などと称している者もおりますが、聖師はあちこちで、自身が救世主、キリストの再臨であるかのような事を匂わす微妙な発言をしたかと思うと、キッパリ否定したりしています。
「今、大本にあらはれし変性女子はニセモノじゃ、誠の女子があらはれてやがて尻尾が見えてくるだろ…」
又、生身の人間を生き神の如く奉ることの愚かさについて、現人神天皇崇拝、自身のことに託けていたのか、こんな発言もしていました。
「ほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神様を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが日本を誤らせた。…とくに日本の官・国幣社の祭神が神様でなく、ただの人間を祀っていることが間違いの根本だった。…」
目に見えるものと見えないもの、限りあるものと無限なるもの、捉えられるもの、捉えられないもの…聖師の周囲には今もこれらのものがが交錯しているようです。
出口聖師というと、大預言者、カリスマというイメージで語られるようですが、私にはその反面自らを媒体とする役目に徹していたように感じます。
正に千両役者という感じです。それがどう映るかは、その人の身魂の因縁次第でしょう…。



コメント
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