人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

あれとこれ

2016-04-08 20:52:41 | 現臨、ハタラキ
私は母親譲りからか、多分生来感受性が強いのでしょう。
ある衝撃的な事に出くわすと、ずっと心象に思いが捉われて、どんどん思考力が強くなって、簡単にその占領軍の侵攻を許してしまったりしました
周りで何の屈託も無く遊んでいる他の子を見てると不思議で仕方ありませんでした。
あっちは、オカシナことに見舞われている私のことなど永久に理解出来ないでしょう…
これが慢性化すると段々オートマチックに一寸した思いのスキにそうなってしまいます。
ああ、又あれが来た…ヤツらの侵攻が始まるのだ、私の喜びに満ちた聖地は蹂躙される…私に出来る事は何も無い…
ある時なんかは実に不可解です。これといったあれをもたらすはずの事象、要因も無いのにそんなことに陥ってしまったことも有ります。これはどうにも自分でも訳が分からず説明出来ません。
おそらく間接的にその時の暗く、重い気分が私のどこかに巣食っていたあれを呼び起こすのでしょう…
こんな具合なので、私の人生はもう決まったも同然です!…神経衰弱、ノイローゼ、鬱病…これがずっと付いてまわるのか…
そんな私ですが、今ではあれのなすがままに置かれることは無くなりました。
更に強力な防衛軍が出動してくれるからです。
それは、あれと隣り合わせのものと言えます。
ただ、これあれとはまったく正反対にハタラきます。
とめどなく思いが積み重ねられ、強くなっていくので無く、思いの加重を減らし、頭を覆う思考ベルトに風穴をもたらし、ついには無力化させることも有るのです。
そして、これは又あれよりはるかに手回しが早い…思うより先にオートマチックという感じです。
それもそのはず、思いを超えたところからやって来る現臨だからです。
思いというものは本当に重いものです。…苦しみの要因には違いないでしょう。
それが強く心の自治領に侵攻し、占領し始める事が問題なのです。
ただ、このある線を超えなければ別に何も問題は無いです。
”無くそう”とか”根絶しよう”何て言う向きは全くどうかしてます。
現臨に包まれると、自動的に収まるところに収まり、心の自治領は平和を保たれます。
大体あれは何だって、越境して侵入してくるのか?
おそらく私の知らないあれの知り合いが招き寄せているのでしょう…
こういう話は常識の世界で、マトモに精神を働かせている人には、おそらく理解出来ないことかもしれません。
思いというのは自分で自由にコントロール出来るものだと思いますか?
あれこれとは隣り合わせ、というのは、どちらも自分ではコントロール出来ないという事です。
何度かの不可解な苦境に見舞われて、私は精神には自力、自制の及ばないものが有る、という事を深く知らされたのです。
不意に季節の変わり目とか風向きとかで、思考地獄から解放された状態も肌身に感じています。
だからこそ、自分を超えたものに自然と委ねることが出来るんだと思います。
あの不可解なあれこれとは実に裏表のことになっていたのです。
人生で起きる事は全て意味が有るのでしょう…。









コメント
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