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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

潜象と現象

2016-08-01 19:52:04 | 哲学・思想
当たり前の話ですけど、この世界は現象界だと言われています。
現れている世界、目に見える世界…
このように在らしめているものというのは、時間と空間らしい…
いや、待てよ…時間も空間なんて見えやしないぞ!
微粒子、波動…どっちが現象界の元となる要素なのか知らないが、いくら科学的にその存在が立証されようと、誰か肉眼で見たヤツなどいないだろう…
空気が無いと、我々は生きていけないことは分かっているけど、それも見えない…という事は捉えることは出来ない…こんなに現象として見る事も捉える事も出来ないものばかりだって言うのに、その見えない世界についての呼称というのは…
無い!…な、何故なんでしょう!
私の幼い頃からの疑問…例えば何にも無かった空に雲が出た…”それはね、地表で温められた空気が上昇して水蒸気になって云々…”いや、そういう事じゃなーい!…何でそうなっているのか!ってこと…水は高いところから低いところへ流れる…何故内臓は誰かが操作しているように寸分も狂いなく働いているのか?
我々の周りはこのような不思議な事で一杯だけど、そもそもの元からの有り様、成り立ちはどうなっているのか?…と、どこまでも食い下がって親父を困らせていました。そして答えは決まって”そうなっているから…”
我々はこういう事に当たり前のように接していて、学者が”万物は流転す”とか言って、あらゆるものは生成し続けるということは知識的にも知らされていますが、この生成、創造といったものの直接的体感…そもそも自分自身がそれ無しに存在し得ないもの、そのものについてはほとんどの者は目の当たりにしていないのです!
そして、いつの間にか”そうなっている”、”そうだとされている”こと、つまりは”見たまま、思われたままが全てである…”と錯覚してしまったのです。これは我々の思考が過度に偏ってしまったことに要因があるようです。
この生成、創造のリアルな真実というものは、現象の奥にある、見えざる領域を想定しない事には開示されることがありません。
ある人たちはこの見えざる領域を”霊界”というもので言い表したりします。
それも一面の理解を提供してくれるものなのかもしれませんが、現代科学によるものと同じく、その安易な迎合により固定観念に捉われる要因ともなり、又多くの人がやはり同じように直接に触れることは出来ず、観念的な理解でボカされたりします。
こういう訳で、こうした現象界の裏側の世界については今までハッキリ認識がなされてこなかったのです。
ところが…我が国の一部ではと呼ばれている概念が知られています。
通称「カタカムナ」という、上古代人の所謂超科学を伝えているとされる、神代文字と思しきもので書かれた古文献を発見し、解読したとされる物理学者、楢崎皐月師とその学統によって呼び慣らわされてきたのです。(この文献の実在性については多くのこの種の文献と同様、はっきりしたことは言えません)
潜象…隠れている有り様…現象というものが有れば、こういう言葉も有って当然と思われるのですが、こういう事が今まで認知されてこなかった、というところに現代文明の行き詰まりという現象が示されているのでしょう。すべての物柄が成り立たなくなりますから…
だからと言って、私はこの二つの事象の一方が真実で、一方は幻想(これは現象科学偏重の裏返し)…という偏った観方はしたくありません。
幻想と感じるのはむしろ、一方のみが真実だ…とする観方ではないでしょうか?
隠れているものが顕わになる…現れたものはまた隠れる…本があって末がある…これらは一連の一貫したハタラキと観るべきなのではないでしょうか?
そして今の時節は見えない潜象が益々現象化して来ているのを感じています。この事は、これまでの思われたままの有り様、想定していたことを超えたことが次々起きていることにも伺えるでしょう。
それは又潜象と現象との境界が無くなりつつあるようにも思われるのです…。






コメント (1)
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