カタカムナ文献が発見されたのは、神戸東灘の金鳥山でしたが、関西在住の頃、体力に自信の無かった私はそのゆかりの山頂へは行ったことが無いのですが、その中腹にある保久良神社へは何度か訪れた事が有ります。
周囲には巨石がゴロゴロしていて、私は一目で”こんなん自然の作用で出来る訳ないだろう…”と感じたものでしたが、この巨石は磐座と呼ばれ、神社の原始形態とされていることは知られています。常識的な世界では、それらは自然石という事にされているようですが…
ここに限らず、西宮から神戸にかけての所謂六甲山系というのは、こうした巨石のモニュメントが数多く点在しています。
この地(磁)場こそ通称カタカムナ文明の中心だったのでしょうか。
他にも関西近辺では、紀伊の大台ケ原、京都(残念ながら市内にあったと思われるその多くは土中に埋められていたり、削り取られたりしています)など…私は何度かこうした地場を訪れているうち、”この巨石には何かが有る…体に染み込んでくる何かの波動のようなものが…”と感じるようになりました。
古来から聖地と言われ、奇談が伝わっているところには、こういう具体的にして、しかも名状し難い事由が存しているのでしょう。
出口王仁三郎師や宮地神仙道の開祖、宮地水位師が異界に出入したのは、それぞれ亀岡の高熊山、高知の潮江天満宮の磐座でしたが、私は神秘めかした表現であってもそれに偏ったり、捉われなければ無暗に否定したりなどしません。
逆にそのすべてを物理的なものに還元出来るものとも考えていません。
波動とかパワーなどと言うと、様々な尾ひれが付きまとい、あるいは超能力めいたものとも結び付けられて語られがちですが、私はこの感受は特殊な能力とは関係ないものだと確信しています。
どちらにせよ、先入観に捉われることなく、自分で確かめる事が大切だと思います。
22年ほど前、ある瞑想会の広島の宮島でのリトリートに参加したことがありましたが、ここの弥山の山頂付近が又、目を見張る巨石群と猿の群れがタムロしているのでした。
(その数十人いたほとんどの参加者は”いや、自然界には不思議な力が有るものだ、こんなケッタイな岩を造り出すなんて…”といった風で、私の”これは間違いなく古代人のモニュメントだ!”と言う主張には冷ややかなのでしたが、やがて現地のガイドがやって来て”古代の祭祀跡です!”と天啓を一言…それからは誰もその話題には触れなくなりました)
そこでは自分が波動を感受しやすいところで瞑想することが主眼だったのですが、私はもう、実際にそのように示されるのは磐座ばかりで、自分を波動の依代にして、(猿の奇襲にもめげず)瞑想三昧してるうち、磐座によって粗かったり、微妙なものだったり、波動の感じ方が違うことなど体感できたのは大変貴重でした。
平成14年の夏だったか、クエーカーの修養会が琵琶湖畔、北小松の同志社のリトリート・センターで持たれたのでしたが、私はその地に踏み入れた時から、何だかとても清々しい快感に包まれたのを感じました。そして付近には何やらそれっぽい雰囲気が…
あにはからんや、そこは古代祭祀場跡に隣接して建造されていたのです。
その快い息吹を醸し出しているのは、どうやらその近代的建造物からでは無く、もともとの地場から来るものと確信しました。
私が探索した限り、周囲には目だったものでは無いものの、磐座の痕跡も認められました。
その施設の集会場となっているところ、(”ペテロの岩”なるオブジェが有る)そこが実に強い波動ポイントのように感じられたのですが、見たところそれらしき痕跡は無いのです。どうも土中に波動の媒体が隠れているようにも感じたのですが…
そして、そこで持たれた合同礼拝会(といっても瞑想に近いものですが)は、忘れ難いものとなったのでした。
”今日は何かが起こる、もう始まる前からジンジンしてきた”という予感の通り、集う人は十人にも満たなかったでしたが、参加したほとんどの人が(中には涙を流す人も居た)自然発生的に起こる歓喜を実感したようでした。
何か古代の祭祀風景というものもこんなだったのではないか…と感じたものです。
異界への通路とまではいわないまでも、古来から磐座は潜象と現象の重要な結び目、媒体だったのでしょう。
外国ではほとんど廃れてしまった、こうした古代からの風儀も我が国には、神社という形でその面影は保たれているのです。
それも、我々自らが生ける宮、生ける媒体であることの証あってのものであるのは言うまでもありません。
周囲には巨石がゴロゴロしていて、私は一目で”こんなん自然の作用で出来る訳ないだろう…”と感じたものでしたが、この巨石は磐座と呼ばれ、神社の原始形態とされていることは知られています。常識的な世界では、それらは自然石という事にされているようですが…
ここに限らず、西宮から神戸にかけての所謂六甲山系というのは、こうした巨石のモニュメントが数多く点在しています。
この地(磁)場こそ通称カタカムナ文明の中心だったのでしょうか。
他にも関西近辺では、紀伊の大台ケ原、京都(残念ながら市内にあったと思われるその多くは土中に埋められていたり、削り取られたりしています)など…私は何度かこうした地場を訪れているうち、”この巨石には何かが有る…体に染み込んでくる何かの波動のようなものが…”と感じるようになりました。
古来から聖地と言われ、奇談が伝わっているところには、こういう具体的にして、しかも名状し難い事由が存しているのでしょう。
出口王仁三郎師や宮地神仙道の開祖、宮地水位師が異界に出入したのは、それぞれ亀岡の高熊山、高知の潮江天満宮の磐座でしたが、私は神秘めかした表現であってもそれに偏ったり、捉われなければ無暗に否定したりなどしません。
逆にそのすべてを物理的なものに還元出来るものとも考えていません。
波動とかパワーなどと言うと、様々な尾ひれが付きまとい、あるいは超能力めいたものとも結び付けられて語られがちですが、私はこの感受は特殊な能力とは関係ないものだと確信しています。
どちらにせよ、先入観に捉われることなく、自分で確かめる事が大切だと思います。
22年ほど前、ある瞑想会の広島の宮島でのリトリートに参加したことがありましたが、ここの弥山の山頂付近が又、目を見張る巨石群と猿の群れがタムロしているのでした。
(その数十人いたほとんどの参加者は”いや、自然界には不思議な力が有るものだ、こんなケッタイな岩を造り出すなんて…”といった風で、私の”これは間違いなく古代人のモニュメントだ!”と言う主張には冷ややかなのでしたが、やがて現地のガイドがやって来て”古代の祭祀跡です!”と天啓を一言…それからは誰もその話題には触れなくなりました)
そこでは自分が波動を感受しやすいところで瞑想することが主眼だったのですが、私はもう、実際にそのように示されるのは磐座ばかりで、自分を波動の依代にして、(猿の奇襲にもめげず)瞑想三昧してるうち、磐座によって粗かったり、微妙なものだったり、波動の感じ方が違うことなど体感できたのは大変貴重でした。
平成14年の夏だったか、クエーカーの修養会が琵琶湖畔、北小松の同志社のリトリート・センターで持たれたのでしたが、私はその地に踏み入れた時から、何だかとても清々しい快感に包まれたのを感じました。そして付近には何やらそれっぽい雰囲気が…
あにはからんや、そこは古代祭祀場跡に隣接して建造されていたのです。
その快い息吹を醸し出しているのは、どうやらその近代的建造物からでは無く、もともとの地場から来るものと確信しました。
私が探索した限り、周囲には目だったものでは無いものの、磐座の痕跡も認められました。
その施設の集会場となっているところ、(”ペテロの岩”なるオブジェが有る)そこが実に強い波動ポイントのように感じられたのですが、見たところそれらしき痕跡は無いのです。どうも土中に波動の媒体が隠れているようにも感じたのですが…
そして、そこで持たれた合同礼拝会(といっても瞑想に近いものですが)は、忘れ難いものとなったのでした。
”今日は何かが起こる、もう始まる前からジンジンしてきた”という予感の通り、集う人は十人にも満たなかったでしたが、参加したほとんどの人が(中には涙を流す人も居た)自然発生的に起こる歓喜を実感したようでした。
何か古代の祭祀風景というものもこんなだったのではないか…と感じたものです。
異界への通路とまではいわないまでも、古来から磐座は潜象と現象の重要な結び目、媒体だったのでしょう。
外国ではほとんど廃れてしまった、こうした古代からの風儀も我が国には、神社という形でその面影は保たれているのです。
それも、我々自らが生ける宮、生ける媒体であることの証あってのものであるのは言うまでもありません。