「今 その 時”人類の意志”は、我等が、その 全人生を一貫して、大命し…来たり、
今 その 機”人類の大業”は、我等が、その全存在を開解(かいげ)して、大作用…を、事…創めするに いたりました。
取りて後あるの その世界は終わりを告げて 今 一切が成れるの世界が開かれた
求めて後得るの その世界は終わりを告げて 今 一切が充てるの世界が現われた」
(大調和世界観開顕之聖業発祥)
これはD会のM師を通じて、人類に向けてのある種の宣言文の一節です。
その内容はとても一口では言い得ないものですが、人類が求めて、探究してやまなかったものが、ここD会を機縁とした時機において、自他、一なるもの、多なるものを一つにハタラクもの…大調和世界観なるものの顕現を告げているのです。
それは一コの信仰、思想、個人の悟境によるものでない、人類的なものであることを謳っています。
昭和20年8月、M師が広島で被爆され、終戦直後の悲惨な状況を目の当たりにしたことに端を発し、後に周囲に起こった奇しき人間関係を巡る転回から目覚まされたものなのでした。つまりそれは、焦土…地獄のような様相の中から産声を上げたのです。
今日、その説き方、有り様は様々なれど、”探究は終わりです…求めているものはここにある…”と言った言葉に接するのも珍しくなくなりました。
これは、”コチラから…”彼方にある物を求め、目指すという方向軸から、”アチラから…”成ってくるというコペルニクス的転換を示唆していると思います。
別の観方、表し方をすれば、元々あったもの、失ったものの回復という事も出来るでしょう。
こう言っても、今でも彼方にある神、真理を目差してたゆまぬ修行、研鑽をし続けている向きもあります。
そこには、そうしなければならない理由、因縁もあるだろうし、”そんなことしたって意味など無い”とも私は言うつもりもありません。
ただ感ずるに、そこには、自分が修行して、自分が悟るものだ、という思念が根強くあるようです。
そして、一歩一歩前進して行けばより高き境地、やがて神と等しくなると…
個人といい、人類といい、これまでこうした見地というものが支配的と言えます。
しかし…ある日突然、世界が核戦争に見舞われたらどうなるだろう…
又、突如アセンションとかで、世界が神の国になってしまったらどうなるだろう…
破壊か、創造か…どちらにせよ求め、得ようとしたことにピリオドが打たれる…
皆吹っ飛ぶか、皆神の国にブッ飛ぶかどっちかではないか!
核兵器の出現と(D会で言われるような)大調和世界観的なものの顕現…私はここにパラレルのようなものを感じざるを得ません。
如何にも分かったような事を言ってますが、私がこうした言葉に初めて接したのは、昭和53年8月、初めての関西…そして今からは考えられないような突飛な衝動、試み…D会を訪れたことに依っています。私はそこで頂いた資料を読みながら正直、一体何を言っているのか、何を伝えているのかサッパリ分かりませんでした。
当時の私は神、真理への道は遠く、たゆまない修行、研鑽を要するもの、という思いが根強くあったからです。そして又、エーテル的、オカルト的な霧がかった空気というものも脳内に立ち込めていました。
東京より一際暑い初めての関西、冷房の効かない京都の安宿で、”大調和世界観…これは果たして人類の福音か…はたまた誇大妄想の所産か…”などと寝付かれない夜、思慮を巡らしていたものです。
その数日間の旅を通じてずっと気になっていて、知らず知らずのうちに、私はこの自分ではどうにも捉えられないものに、”捉えられてしまった”のかも分かりません。
東京に戻ってきた時は、一段と涼しく感じられ、何となく秋めいて感じられました。
私に別なる、新しい風がほのかに吹き始めたようでした…。
今 その 機”人類の大業”は、我等が、その全存在を開解(かいげ)して、大作用…を、事…創めするに いたりました。
取りて後あるの その世界は終わりを告げて 今 一切が成れるの世界が開かれた
求めて後得るの その世界は終わりを告げて 今 一切が充てるの世界が現われた」
(大調和世界観開顕之聖業発祥)
これはD会のM師を通じて、人類に向けてのある種の宣言文の一節です。
その内容はとても一口では言い得ないものですが、人類が求めて、探究してやまなかったものが、ここD会を機縁とした時機において、自他、一なるもの、多なるものを一つにハタラクもの…大調和世界観なるものの顕現を告げているのです。
それは一コの信仰、思想、個人の悟境によるものでない、人類的なものであることを謳っています。
昭和20年8月、M師が広島で被爆され、終戦直後の悲惨な状況を目の当たりにしたことに端を発し、後に周囲に起こった奇しき人間関係を巡る転回から目覚まされたものなのでした。つまりそれは、焦土…地獄のような様相の中から産声を上げたのです。
今日、その説き方、有り様は様々なれど、”探究は終わりです…求めているものはここにある…”と言った言葉に接するのも珍しくなくなりました。
これは、”コチラから…”彼方にある物を求め、目指すという方向軸から、”アチラから…”成ってくるというコペルニクス的転換を示唆していると思います。
別の観方、表し方をすれば、元々あったもの、失ったものの回復という事も出来るでしょう。
こう言っても、今でも彼方にある神、真理を目差してたゆまぬ修行、研鑽をし続けている向きもあります。
そこには、そうしなければならない理由、因縁もあるだろうし、”そんなことしたって意味など無い”とも私は言うつもりもありません。
ただ感ずるに、そこには、自分が修行して、自分が悟るものだ、という思念が根強くあるようです。
そして、一歩一歩前進して行けばより高き境地、やがて神と等しくなると…
個人といい、人類といい、これまでこうした見地というものが支配的と言えます。
しかし…ある日突然、世界が核戦争に見舞われたらどうなるだろう…
又、突如アセンションとかで、世界が神の国になってしまったらどうなるだろう…
破壊か、創造か…どちらにせよ求め、得ようとしたことにピリオドが打たれる…
皆吹っ飛ぶか、皆神の国にブッ飛ぶかどっちかではないか!
核兵器の出現と(D会で言われるような)大調和世界観的なものの顕現…私はここにパラレルのようなものを感じざるを得ません。
如何にも分かったような事を言ってますが、私がこうした言葉に初めて接したのは、昭和53年8月、初めての関西…そして今からは考えられないような突飛な衝動、試み…D会を訪れたことに依っています。私はそこで頂いた資料を読みながら正直、一体何を言っているのか、何を伝えているのかサッパリ分かりませんでした。
当時の私は神、真理への道は遠く、たゆまない修行、研鑽を要するもの、という思いが根強くあったからです。そして又、エーテル的、オカルト的な霧がかった空気というものも脳内に立ち込めていました。
東京より一際暑い初めての関西、冷房の効かない京都の安宿で、”大調和世界観…これは果たして人類の福音か…はたまた誇大妄想の所産か…”などと寝付かれない夜、思慮を巡らしていたものです。
その数日間の旅を通じてずっと気になっていて、知らず知らずのうちに、私はこの自分ではどうにも捉えられないものに、”捉えられてしまった”のかも分かりません。
東京に戻ってきた時は、一段と涼しく感じられ、何となく秋めいて感じられました。
私に別なる、新しい風がほのかに吹き始めたようでした…。