人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

もう一つの”あのさ”

2017-02-13 14:02:00 | 雑感
「神、仏、あの世…確かめようのないことを…」うん、うん、いいね…それで…
「信じたいと思います!」
そ、そっちか!…fumika!
分かろうとしている神サマはそう告げたの?

ここんとこ、知られざる芸能通?の私を悲しませるニュースが立て続けに起こっています。
幸福は科学で解明出来るのかどうか知らないけど、まあ、上手くやって欲しいものです。
例によって余計な事だけど…
彼女は未知なるもの、神秘なるものへの探究心を持っているように思います。
そうしたことを自分の目で見、自分の肌で感じ、直に触れる事って、想像するだけでワクワクしてこないですか?
人づてに聞いたこと、本に書いてあったこと、巷でそうだとされていること…などの予見のかからない生の知見…それを何かの霊言だとかにゆだねてしまうとは、何とも勿体ない…
知られざる道の探究には、あたえられた知性、感性の高みへの上昇、深みへの沈静が伴うものです。
それは原初的な内なる要求から、内なる神人から呼び起こされるのです。
でも、それも反知性主義、安易な信仰におもねるやその発露は、決めつけた言辞でたちどころに塞がってしまいます。
”霊界や天国や地獄はああなっている、こうなっている…未来はこうなることに決まっている…あなたの前世は誰某…”
人生で直に触れるべきことは、紙切れなんかでは伝えられません!
そして、人が信仰に走ってしまうのは、日常生活の悩み、苦しみ…
それにしても…人は見た目には分からないものですね。
あんなにネアカキャラだと思っていたのに…自分を”ゴミクズ”とか…もっと自分を信じ、愛せないものなのでしょうか?
確かどっかでこんなことをつぶやいていたと思います。(内容はよく覚えていないんですけど…)
”あの窓辺に映る日の光に自分をゆだねることが出来たなら…”というような…
きっと、彼女はそういう事に意識が向き、感じ取れるんだ、と思います。
いや、誰しもが…です! だけど…”出来たなら”…ですか?
意識に映り、感じ取れるということは、そこに無いことだと思いますか?
頭の中のイメージだけで決着が着けられてしまうのですか? 淡い願望だけで終わりにしちゃうのですか?
”あのさ…”
私は子供の頃から絶え間なく頭の中に覆いかぶさってゆく、思考の雁字搦め状態に陥ることがあったのですが、外気に触れる事とか、何てことないような事で、いつの間にかその苦境から脱したことしばしばでした。風向き次第でも変わるのです!
こんなこと言うと、他力本願的でちっとも主体性が無さそうですが、何てことないことに意識を向けると、”自分は自分だけで生きているんじゃない、頭だけで生きているんじゃない、空が、夕日が、鳥たちが「生きている、生かされている…それだけで幸せでない訳が無い!」と告げているようではないか!”と…じっつに何てことないどころでない、見たまま、感じたままの奥にある”もう一つの世界”を垣間見た思いがしたものです。
そして…”お前はこの生の、世界の神秘をもっと見て、感じてみたくないかね!”という払拭出来ない促しに導かれたようなのです。
何と多くの人は間近に人生の裏側の扉を見ていながら、人の意見、世の中の声、チッポケな頭の判断におもねり、それを遠い彼方のもの、夢の中のことにしてしまう事でしょう…そこに見て、感じられるものは、その扉の向こうに足を踏み入れることが出来るのです! リアルに感じられたのならリアルにそうならざるを得ません!
否、そのこと自体があの導きがあなたを引き寄せている、ということなのです!
と…まあ、これは、自分のことを言っているだけなんで、もう要らん事言いません…。
自分の人生は自分にしか分からない…
”自分以外に自分の真実のことを語れる人なんていない…”ホントですね! 真実とはリアルなもの…
色々な宗教、思想、生き方ってもんが有る…だけどこれだけは誰だって同じですね…
だから、ちょっと言いたくなっただけです…。

コメント
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