ある陰謀論者が言うには、キリスト教にはレプティリアン(トカゲ型異星人)のイキがかかっているそうな…
キリスト教のどの派とかについては詳しく述べられてなかったようですが…
ローマン・カソリックがあって、それに敵対するプロテスタントも正教もクエーカーも自称無教会もホントのリベラル無教会も…あのヤバイ十一教会も…
あのね…ちと十羽一絡げというか、括りが大雑把すぎやしませんか?
大本教…私がちと詳しく知っている、というだけで信者にされかねない宗派ですが、ある人は私が学生時代にその分派のM教団に入信していたこと、同じくその流れを持つ五井先生に傾倒していた経緯から、「だから君はやはり大本教なんだ!」と決めつけていました。
このように非常に直接、間接を問わず分派活動の激しい大本ですが、出口聖師が居た全盛時でも、同じ教団内に所謂開祖派、大先生(聖師)派が有り、外には熱烈に聖師に反逆した”大門八木派”、”肝川竜神派”などが有り、とても一つの大本では括れないような混沌とした状況を呈していたのでした。これが数多の分派活動を生む要因でもあった訳ですが、この辺りにも大本の宗教の雛形たる所以が伺えることが出来ます。
SGという言わずと知れた大手の新興宗教が有りますね。
(石原三十み…推測ですが、多分彼女は”主流派”ではあるまい…あのサラサラ、ロングヘア―がそれを物語っているようです。以前仕事で行った信濃町の”ゾーン(日本の中の治外圏?)”にはあんな髪型の女性は一人も見かけなかった…”あれは、会長好み~ショートじゃないからね…”と同僚は言っていたが、何で知っているんだ?)
私はその絡みで噂に聞くような狂信的な人たちを何人か見てきました。
だけど、とても同宗の人とは思えないようなリベラルな考えを持った人も知っています。(当然、この人は主流派でないだろう)
そういう人と接してみて前者との明らかな違いは、人の話を聞いてくれる、ということに尽きます。だから、結構突っ込んだ話にも及んだりするのです。
(ここで書いているような、訳の分からんような話にも付き合ってくれるのです。分かってくれたかどうかは別ですが…)
ある日、別の同僚が突然「SGだけは絶対に許せん!」とその批判、中傷をおっぱじめた事が有りました。
その人がやたらとSGに詳しいので、「君はもしや…」と吹っかけてみましたが「んな訳ないっショ!」と否定されました。
しかし、公然と知られる信者の同僚に聞いたら「んな訳ない訳ないやろ!」とのことでした。つまりアンチSGもSGだったのです!
宗教では、その信者たちは同じ教え、同じ修行をし、入信するだけで同じように救われるもの、と信じている者もいるようですが、”んな訳ないでしょうが!”
感性も機根も皆一人一人違うのに。”信じれば救われるとか”、”こうすれば悟れる”といった文句が如何に無意味なものであるかが知れようというものです。ある教え、行法も人によって向き、不向きがあるし、ある人は悟ることもあるかも知れないが、ある人はずっと同じところをグルグル回り続け、ある人はひたすら迷走、脱線し続ける…全く人間はブッダにもおシャカにもおダブツにもなれる…
だから…ある宗教は正しくて、ある宗教は間違い、異端、闇の勢力系などと乱暴に決めつける訳にはいきません。
ある教団で、闇の勢力下にある人はあなたの右隣に居るかも知れません。
又、あなたの左隣にいる人はあなたの導師かもわかりません。分かり切ったことですが、宗教信者である以前に誰もが独立した人間なのです。
現在は見せかけだけの救いは廃れ、一人一人の意識の在り方が問われている過程の真っ最中のようです。
それは宗教の外は勿論のこと、同じ宗教グループで括られている世界でも、その有り様、ミタマ相応に応じた精神世界がハッキリ立て分けされて形成されているのでしょう。見える宗教は終わり、見えざる一人一人の内なる宗教が興り始めているようです。
あなたの世界の救世主も、闇の世界の黒幕もあなた自身を置いて他にはいないのです…。
キリスト教のどの派とかについては詳しく述べられてなかったようですが…
ローマン・カソリックがあって、それに敵対するプロテスタントも正教もクエーカーも自称無教会もホントのリベラル無教会も…あのヤバイ十一教会も…
あのね…ちと十羽一絡げというか、括りが大雑把すぎやしませんか?
大本教…私がちと詳しく知っている、というだけで信者にされかねない宗派ですが、ある人は私が学生時代にその分派のM教団に入信していたこと、同じくその流れを持つ五井先生に傾倒していた経緯から、「だから君はやはり大本教なんだ!」と決めつけていました。
このように非常に直接、間接を問わず分派活動の激しい大本ですが、出口聖師が居た全盛時でも、同じ教団内に所謂開祖派、大先生(聖師)派が有り、外には熱烈に聖師に反逆した”大門八木派”、”肝川竜神派”などが有り、とても一つの大本では括れないような混沌とした状況を呈していたのでした。これが数多の分派活動を生む要因でもあった訳ですが、この辺りにも大本の宗教の雛形たる所以が伺えることが出来ます。
SGという言わずと知れた大手の新興宗教が有りますね。
(石原三十み…推測ですが、多分彼女は”主流派”ではあるまい…あのサラサラ、ロングヘア―がそれを物語っているようです。以前仕事で行った信濃町の”ゾーン(日本の中の治外圏?)”にはあんな髪型の女性は一人も見かけなかった…”あれは、会長好み~ショートじゃないからね…”と同僚は言っていたが、何で知っているんだ?)
私はその絡みで噂に聞くような狂信的な人たちを何人か見てきました。
だけど、とても同宗の人とは思えないようなリベラルな考えを持った人も知っています。(当然、この人は主流派でないだろう)
そういう人と接してみて前者との明らかな違いは、人の話を聞いてくれる、ということに尽きます。だから、結構突っ込んだ話にも及んだりするのです。
(ここで書いているような、訳の分からんような話にも付き合ってくれるのです。分かってくれたかどうかは別ですが…)
ある日、別の同僚が突然「SGだけは絶対に許せん!」とその批判、中傷をおっぱじめた事が有りました。
その人がやたらとSGに詳しいので、「君はもしや…」と吹っかけてみましたが「んな訳ないっショ!」と否定されました。
しかし、公然と知られる信者の同僚に聞いたら「んな訳ない訳ないやろ!」とのことでした。つまりアンチSGもSGだったのです!
宗教では、その信者たちは同じ教え、同じ修行をし、入信するだけで同じように救われるもの、と信じている者もいるようですが、”んな訳ないでしょうが!”
感性も機根も皆一人一人違うのに。”信じれば救われるとか”、”こうすれば悟れる”といった文句が如何に無意味なものであるかが知れようというものです。ある教え、行法も人によって向き、不向きがあるし、ある人は悟ることもあるかも知れないが、ある人はずっと同じところをグルグル回り続け、ある人はひたすら迷走、脱線し続ける…全く人間はブッダにもおシャカにもおダブツにもなれる…
だから…ある宗教は正しくて、ある宗教は間違い、異端、闇の勢力系などと乱暴に決めつける訳にはいきません。
ある教団で、闇の勢力下にある人はあなたの右隣に居るかも知れません。
又、あなたの左隣にいる人はあなたの導師かもわかりません。分かり切ったことですが、宗教信者である以前に誰もが独立した人間なのです。
現在は見せかけだけの救いは廃れ、一人一人の意識の在り方が問われている過程の真っ最中のようです。
それは宗教の外は勿論のこと、同じ宗教グループで括られている世界でも、その有り様、ミタマ相応に応じた精神世界がハッキリ立て分けされて形成されているのでしょう。見える宗教は終わり、見えざる一人一人の内なる宗教が興り始めているようです。
あなたの世界の救世主も、闇の世界の黒幕もあなた自身を置いて他にはいないのです…。