人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

大阪の朝は寒かった…

2017-02-03 20:30:53 | 回想
巷では社会人としてスタートを切るのは、大概桜の咲く頃なのでしょうが、私の場合は普通人のコースを歩まされる訳も無く?一年浪人したためでもあるのですが、就職先の都合で今頃の季節だったのです。昭和56年のことです。
初めての社会人、初めての関西(スポットで来たことはあるものの)、大阪…何しろ初めて尽くしだったので、最初の一月間は疲れや慣れないことによるストレスなどで心身とも参ってしまったのを覚えています。
初出勤で大阪梅田から勤務地まで10数分で行けるところを迷って30分くらいかかってしまいました。
阪急梅田に着いて、外があまりに寒かったので、地下街に入ってしまったのが間違いだったようです。
大阪駅と梅田駅は違うのか同じなのかも分かりません。(関西の人以外にはあまりピンと来ないでしょうけど…)
こういう全く訳の分からない状況で、梅田の訳の分からない事務所にやって来たものの、何をどうしたらいいのか全く訳が分かりません。
自己紹介とか会社のレクチャーみたいのも何もありません。
驚いたことに若い事務員さん(女性は一人も無し)以外は方言?でしゃべっているではありませんか?(デパートとかじゃ標準語だぞ!)…ある上司に至ってはコテコテの河内弁丸出し…
言葉をあまり解せないより先に、その口汚さときたら…”ケツマクリ”って…フレンチカンカンかい!(後で聞いたらこの人は九州出身だといいます。初対面では”うへっ”という思いにさせられましたが、この人には結構可愛がられました。大ゲンカもしましたが…)
何もしてないのに怒られているのか、因縁をつけられているのか? というかしばらくは事務員さん以外は皆ケンカをしているように思えました。
電話が鳴り「おい、兄ちゃん、でろや!」(に、ニイちゃん!…ある夕、会社の人たちと晩飯に入った時、他の人は店員さんに馴れ馴れしく、ニイちゃんと呼んでいたのを、私は礼儀正しく”お兄さん”、お代わり…と呼んだので大爆笑が起こりました! ”お前はそっちの気があったんかい!”とね…〉の催促に出てはみたものの、先方は言葉が分からない上に、オソロしく速くまくし立てるのでチンプンカンプン…仕方なしに聞き取れた範囲で「ペラペラ…とのことです…」と告げると「な、なんやとー!」と怒られるので、もう暫く電話に出るのがイヤになってしまいました。この時は事務員さんが救世主に思えた事でした。
さかんに事務所内の会話に出てくる”みどーすじ(御堂筋)”、”よつばし(四ツ橋、この駅名はある)”とは何か?駅名か?通り名か?地下鉄の路線か?(多くはこれです)
こういう言葉、地理の不慣れという事以上に、私、周囲を困惑させたのは、当時の私は、世間的な常識が無さ過ぎた、ということに尽きます。
暫く会社の使いっパシリのようなことをさせられ、銀行に行くことが多かったのですが、それまで銀行の通帳など持ったことも無く、入出金の手続きもしたことが無かったのです。
ある日番頭?の人から現金と通帳を持たされ、「これを”ほおり”こんできてくれや!」と頼まれ、どこに”放りこんで”いいものか分からず、”投入口”を探したあげく、窓口に”エイヤッ!”と投げ捨て、事務所に帰って、「おい、通帳はどないしたん?」と訊かれたので、「放りこんできましたッ!」と平然と答える私…
使いの仕事と兼ねて、損害保険の資格を取るべく某保険会社で研修をしていたのですが、私はそれまで保険のことは、ホケン(保健)所でやるものだと真面目に思っていたのです…。
こういうようなウソのような、今でこそ笑い話になるようなネタは枚挙にいとまがありません。私はというとマジメそのもの…折目正しい標準語でオバカな事に明け暮れていたのです。
私はこのように霞を食って生きていたような、世間知らずの浮世離れした生活からいきなり、不慣れな大阪…全くエーテル的空気とは如何なる接点も無いような商魂逞しい街に放り出されてしまったのです!
も、ほんまに、ホンマに…頭がグジャグジャになりそうでしたわ!…
ところで…それまでの宗教めいた、スピめいたものへの関心は、その数か月の間に蒸発するんじゃないかと感じていましたが…
二年後の夏、あの忙しなく行き交う人混み、息が出来ないくらいの通気性の悪さ…どこにも精神の目覚めなど起きそうに無いような場所に、人生の裏側の入り口が忽然と開かれてしまうんだから、ホンマに人生てもんは分からんもんやで!…
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