人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

受けること

2017-02-23 00:05:23 | 詩的文章
悟りや救いというものがあるのかどうか知らないが…
そういう道にあって
何かの教えや修行に勤しむのもいいだろう…人それぞれ…
そうしなければならない理由も無く、しないのも自由…
でも…これだけは忘れてはならない
受けなければならない
受け入れなければならない
光…恩寵…ハタラキ…神の力、愛…呼び名はそれぞれ

もうじき桜の季節がやってくる…
花見だ、酒だ、ドンチャン騒ぎだ…
しかし、花を照らすお日さん、光が無ければ話にならない…
花の種を買ってきた、植木鉢も買った、肥料も買った…
しかし、お日さんが無ければ何の役にも立たない

この教えこそ絶対に正しい
このやり方に従わなければならない
その頑な、凝り固まった心が、部屋の窓を、通気口を塞いでいる
それなしには何事も始まらないものをずっと拒み続けている
より高い境地、エンライトメントを目指しての弛まぬ修行…
上に、前に行かないと光は無いのだろうか…
そこに光は照っては居ないのだろうか、光に射抜かれていないのだろうか…
高次の世界、アセンション、前世…実にワイド過ぎるよなお話…
だが、ただの思い込みだけだったら、チッポケな頭の中だけのお話
何でも見えているようで、自分が如何にヘンコな人間に見られているかは見えない…

受けることはそっちのけで
如何に多く不動心で瞑想し続けていようと、それはただの仏像
如何に祈り、拝み続けていようと、ただのオジギソウ
聖書、お経に何が書かれていようと光が無くては読めない…燃やせばハイ
神を信じる先に、照らされているという真実を受け入れるしかない
固まった思い、イメージ、言葉が光を遮ってしまう…

光を見出したいなら、光を受ければいい
受けなければ話にならない、何事も始まらない…
受けること…受けるだけ…
それだけ?…そう、それだけ!
あんまり、バカバカしいので、いつものこれっきゃないルーティーンに勤しむらしい
だから…拘ってたりしたら、光の道が閉ざされてしまうというのに…
どんなルーティーンも受けることに向けられなければ意味が無いのに…
受けるだけのことに、受けられないなどということがあるだろうか…
受けようとしなければ、意識を閉ざしていたら、どうしようもない…
本当は…受けなければならないことはない…
何時だって照らし続けている…
弥増しに強く、遍く、深く…





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