私はとてもエゴが強く、自意識過剰で昔からこの思いのガンジガラメに苛まれてきました。
自分で自覚出来たらまだいいんだけど、知らず知らずにそうなってしまう...もう、そういうことが血肉のように離れなくなっているサガなんでしょう...
"そのままじゃいけないi"と、どっかからの声に従わなければイケナイような気がしてきて、心持を変えようとしてみても...土台からそうなっているんですから、かえって思いの蜘蛛の巣地獄にハマるだけです。
ポジ志向のスピ系の人は言う..."そのままでいい"と...
"んな訳無いでしょーがi"
そういうドツボにハマっていたのは昔の話で、今は何かに目覚めていて解放されているんじゃないかって?
"んな訳無いでしょーがi"
そんな、自称覚者の先生方とは訳が違うのです。
私の呪われたサガは少しも改まってなどいません。物への執着心もスケベさも人一倍...
ただ、言えることは私のどっかに風穴が開けられている、ということです。
何かを改めようとしなくとも、風が淀んでいるもの、滞っているものを吹き払ってくれるのです。
あの喩えようの無い息吹が私に吹き込み、浸透するのでそうした縺れがほどかれ、握っていたものが手放されるだけです。
それで、ちったあマシな顔していられようというものです。
卑俗なことからも、いや御大層にも業生からも超越している、などと自分で吹聴する必要などありません。
いや...主我意識から、そのように他に見せかけようとしたこともありますよ。
だけど、あの風はその飽きもしないで塗られるメッキをも剥がしてしまいます。
つまりは、"そのままでいい"...
しかし、私自らは"そのままでいい"ものなんか一つもありません。そのままでよかったら、とっくの昔に私は自分で自分の首を締めて、果ててしまってることでしょう。
私が面倒見切れなくても、面倒を見てくれるものがあるから"そのままでいい"のです。
私が私だけだったら、人生は全く"大丈夫でない"事態の連続です。
ノーテンキなスピ屋さんi 一体どこが"大丈夫ですi"なんですか?
"大丈夫でない"人生から解放されて、死んだら死んだで、"死なんて無いんだから大丈夫i"なんて言えるんですか?
"大丈夫"だと思い込むことは出来るでしょうけど...懸命に思い込むことは、大丈夫と思ってない証拠でしょう。
大丈夫なものがホントに寄り添うこと無くして大丈夫では無いのです。
しかし、私は"大丈夫"でなくても、風穴から絶えず息吹が吹き込むから"大丈夫"なのです。
もしかして、"すべては完璧"なのかもしれない...
私はどこまで行っても欠陥だらけで行く先は自壊しかありません。どこにも完璧なものなど見当たらない...
"そのままでいい"ことも、"大丈夫"なことも、"すべては完璧"なことも...私自らは"そのままでいい"ことなく、"大丈夫"でなく、"完璧"でないからこそ映し出されてくるものなのでしょう。
それはどこまでも、どこまでも私のみの故から来るものではありません。
どこにも帰されることの無い、見えざる御方から来るのでしょう...。
自分で自覚出来たらまだいいんだけど、知らず知らずにそうなってしまう...もう、そういうことが血肉のように離れなくなっているサガなんでしょう...
"そのままじゃいけないi"と、どっかからの声に従わなければイケナイような気がしてきて、心持を変えようとしてみても...土台からそうなっているんですから、かえって思いの蜘蛛の巣地獄にハマるだけです。
ポジ志向のスピ系の人は言う..."そのままでいい"と...
"んな訳無いでしょーがi"
そういうドツボにハマっていたのは昔の話で、今は何かに目覚めていて解放されているんじゃないかって?
"んな訳無いでしょーがi"
そんな、自称覚者の先生方とは訳が違うのです。
私の呪われたサガは少しも改まってなどいません。物への執着心もスケベさも人一倍...
ただ、言えることは私のどっかに風穴が開けられている、ということです。
何かを改めようとしなくとも、風が淀んでいるもの、滞っているものを吹き払ってくれるのです。
あの喩えようの無い息吹が私に吹き込み、浸透するのでそうした縺れがほどかれ、握っていたものが手放されるだけです。
それで、ちったあマシな顔していられようというものです。
卑俗なことからも、いや御大層にも業生からも超越している、などと自分で吹聴する必要などありません。
いや...主我意識から、そのように他に見せかけようとしたこともありますよ。
だけど、あの風はその飽きもしないで塗られるメッキをも剥がしてしまいます。
つまりは、"そのままでいい"...
しかし、私自らは"そのままでいい"ものなんか一つもありません。そのままでよかったら、とっくの昔に私は自分で自分の首を締めて、果ててしまってることでしょう。
私が面倒見切れなくても、面倒を見てくれるものがあるから"そのままでいい"のです。
私が私だけだったら、人生は全く"大丈夫でない"事態の連続です。
ノーテンキなスピ屋さんi 一体どこが"大丈夫ですi"なんですか?
"大丈夫でない"人生から解放されて、死んだら死んだで、"死なんて無いんだから大丈夫i"なんて言えるんですか?
"大丈夫"だと思い込むことは出来るでしょうけど...懸命に思い込むことは、大丈夫と思ってない証拠でしょう。
大丈夫なものがホントに寄り添うこと無くして大丈夫では無いのです。
しかし、私は"大丈夫"でなくても、風穴から絶えず息吹が吹き込むから"大丈夫"なのです。
もしかして、"すべては完璧"なのかもしれない...
私はどこまで行っても欠陥だらけで行く先は自壊しかありません。どこにも完璧なものなど見当たらない...
"そのままでいい"ことも、"大丈夫"なことも、"すべては完璧"なことも...私自らは"そのままでいい"ことなく、"大丈夫"でなく、"完璧"でないからこそ映し出されてくるものなのでしょう。
それはどこまでも、どこまでも私のみの故から来るものではありません。
どこにも帰されることの無い、見えざる御方から来るのでしょう...。