最近、連夜のようにコメント(というよりよもやま話という感じですが)を送って下さる旧友から私と縁のあった「大調和協会とは、いかなる団体なのか?」というご質問を頂きました。
それに対し「宗教法人で、これこれを祀っており、これこれの活動をしている...」と、対外的に明文化されたものを伝えることも出来るでしょうが、協会についての記事を書いた私にも、読まれた方にもそれで納得してしまうとは思われません。
不十分ながらも、書いたものから何かを汲み取って頂きたいのですが、実のところ私自身関わっていた期間でも、離れた今でも"何か掴んだものがある"という訳ではないのです。むしろ掴むものがあり、又掴んでしまったなら、"私における協会"では無くなることでしょう。
いや、ある意味でそこに"どっかの見知らぬ人"のように、微妙な位置で関わっていたある時期から、それは終わっていたのかも知れません。
しかし又、ひと度我が内に照らしてみれば、それはずっと息づいているとも言えるのです。
重複するかもしれませんが、思い浮かぶまま記せば、正直、一体どうして私が生まれ育った東京を離れてまで協会に近づくべく、拠点を移すことになったのか未だに理解出来ないのです。
ハッキリ言えることは、協会との関係は、昭和53年からの数年間、私の内面に強く芽生え、呼び起こされ、息づいていたものが反映されていた、ということです。
そこには、受容、理解の有り様などの変遷もあれば変わらないものもある...この内的な動きがそのまま協会と結び付いているのです。
その縁で絶対に触れずに置くことが出来ないのは、霊感詩人?、ジャーナリスト西村忠義さんの「人類の復活」という書物です。
何しろ、この書無くして、協会のことを知る機会は全く有り得なかったのですから...
この書との出会いの当時(53年春頃)私の内面を捉えていたのは、丹波に発した巨大霊脈「大本」に連なり、それを継ぐ"元の神が世に顕れる仕組み"は那辺にあるのか?、ということなのでした。
ともかく協会の聖地、高御位山ゆかりの艮の金神が引き寄せたのか、その対岸にある神島に鎮まるという、坤の金神に依るのか...私は行く末が分からぬままそこへ向かわされたのです。
しかし、その初めの出会いはどうも私のそうした思いばかりが先走り、互いにスレ違う結果に終わったようでした。ただ、"何かが世に出る"その胎動を感受せずにおれないものはずっと意識の底にはありました。
そして、前記の書からは、私の内に別の新たな霊泉が開かれ初めていたのです。
それは西村さんの精神にも息づいていた霊なるキリスト教的なものです。そこから手島郁郎先生やサンダー.シングに親しむことになったのです。
キリストは人の内なる神泉を開く門であり、キリストにある集まりは、人類の内なる普遍世界を開く霊境のエクレシア...
私は更に、手島先生の朋友で、共に我が国の原始福音の発現者であった小池辰雄先生を知り、より深くその"見えざる教会"について共振を覚えるようになったのです。
こうしたものは、私に元々根付いていたものであることは、その後ありやかに知らされたのです。
私が再び協会に意識が向けられるようになったのは、この共振だった、と言ってもいいでしょう。
戦後生まれの私の感性からは、いささか取っ付きにくさが感じられ、読むことすら困難を感じた協会の書き物でしたが、この共振に根差した眼からは、その振源から発した言葉のように感じられてきました。
「今 大調和世界観煥発して 一切における"私なるもの"の基盤が、確立されたのでございます。
今 人類使命運動 興起して 私における"一切なるもの"の根拠が、現成されたのでございます。」(タブロイド版「大調和世界」)
"私における協会"とは、一切における私、私における一切を開示、証すもののことです。
そこにはあらゆる私における縁となる道が織り成して生きているのです。
何度でもマントラのように発現されてきます。私における...一切における...一即一切なるもの...これは既に小池先生の"エクレシア"論にも、その後知ったベルジャーエフの"ソボールノスチ"論にも伺えるものです。
地上に数多ある一教団、群れとして確立された時、自ずと離れたものとなってしまうのも又縁のもたらすところなのでしょうか?
事実上、見える形では終わってしまったのでしょう。
しかし、本当に"方便"で無しに、見えないものが見えるものを通して顕現してくるのは、現在進行形で行われている最中なのではなかろうか?
"私における協会"がそう告げているようです...
それに対し「宗教法人で、これこれを祀っており、これこれの活動をしている...」と、対外的に明文化されたものを伝えることも出来るでしょうが、協会についての記事を書いた私にも、読まれた方にもそれで納得してしまうとは思われません。
不十分ながらも、書いたものから何かを汲み取って頂きたいのですが、実のところ私自身関わっていた期間でも、離れた今でも"何か掴んだものがある"という訳ではないのです。むしろ掴むものがあり、又掴んでしまったなら、"私における協会"では無くなることでしょう。
いや、ある意味でそこに"どっかの見知らぬ人"のように、微妙な位置で関わっていたある時期から、それは終わっていたのかも知れません。
しかし又、ひと度我が内に照らしてみれば、それはずっと息づいているとも言えるのです。
重複するかもしれませんが、思い浮かぶまま記せば、正直、一体どうして私が生まれ育った東京を離れてまで協会に近づくべく、拠点を移すことになったのか未だに理解出来ないのです。
ハッキリ言えることは、協会との関係は、昭和53年からの数年間、私の内面に強く芽生え、呼び起こされ、息づいていたものが反映されていた、ということです。
そこには、受容、理解の有り様などの変遷もあれば変わらないものもある...この内的な動きがそのまま協会と結び付いているのです。
その縁で絶対に触れずに置くことが出来ないのは、霊感詩人?、ジャーナリスト西村忠義さんの「人類の復活」という書物です。
何しろ、この書無くして、協会のことを知る機会は全く有り得なかったのですから...
この書との出会いの当時(53年春頃)私の内面を捉えていたのは、丹波に発した巨大霊脈「大本」に連なり、それを継ぐ"元の神が世に顕れる仕組み"は那辺にあるのか?、ということなのでした。
ともかく協会の聖地、高御位山ゆかりの艮の金神が引き寄せたのか、その対岸にある神島に鎮まるという、坤の金神に依るのか...私は行く末が分からぬままそこへ向かわされたのです。
しかし、その初めの出会いはどうも私のそうした思いばかりが先走り、互いにスレ違う結果に終わったようでした。ただ、"何かが世に出る"その胎動を感受せずにおれないものはずっと意識の底にはありました。
そして、前記の書からは、私の内に別の新たな霊泉が開かれ初めていたのです。
それは西村さんの精神にも息づいていた霊なるキリスト教的なものです。そこから手島郁郎先生やサンダー.シングに親しむことになったのです。
キリストは人の内なる神泉を開く門であり、キリストにある集まりは、人類の内なる普遍世界を開く霊境のエクレシア...
私は更に、手島先生の朋友で、共に我が国の原始福音の発現者であった小池辰雄先生を知り、より深くその"見えざる教会"について共振を覚えるようになったのです。
こうしたものは、私に元々根付いていたものであることは、その後ありやかに知らされたのです。
私が再び協会に意識が向けられるようになったのは、この共振だった、と言ってもいいでしょう。
戦後生まれの私の感性からは、いささか取っ付きにくさが感じられ、読むことすら困難を感じた協会の書き物でしたが、この共振に根差した眼からは、その振源から発した言葉のように感じられてきました。
「今 大調和世界観煥発して 一切における"私なるもの"の基盤が、確立されたのでございます。
今 人類使命運動 興起して 私における"一切なるもの"の根拠が、現成されたのでございます。」(タブロイド版「大調和世界」)
"私における協会"とは、一切における私、私における一切を開示、証すもののことです。
そこにはあらゆる私における縁となる道が織り成して生きているのです。
何度でもマントラのように発現されてきます。私における...一切における...一即一切なるもの...これは既に小池先生の"エクレシア"論にも、その後知ったベルジャーエフの"ソボールノスチ"論にも伺えるものです。
地上に数多ある一教団、群れとして確立された時、自ずと離れたものとなってしまうのも又縁のもたらすところなのでしょうか?
事実上、見える形では終わってしまったのでしょう。
しかし、本当に"方便"で無しに、見えないものが見えるものを通して顕現してくるのは、現在進行形で行われている最中なのではなかろうか?
"私における協会"がそう告げているようです...