バルナバス.フォン.ゲッツイを久しぶりに聴いてみました。
ゲッツイ? 例によってよお分からん名前出して恐縮ですが、"ゲッツイ! いや懐かしいのオ...ワシの青春そのものじゃった..."という人は今、何人くらい存命して居られることでしょう?
タンゴのファンならご存知のとおり、タンゴはその発祥に由来するアルゼンチン.タンゴと、主としてドイツを中心に欧州に広まったコンチネンタル.タンゴに大別されるのです。
ゲッツイ楽団は、後者がその全盛にあった、30年代(これはまさに日本が軍国主義を強め、大戦へと突入していった時代に相応しています)を中心に活躍したその代表的存在でした。
"ゲッツイ...「夜のタンゴ」、「夢のタンゴ」...おお、その東欧的憂愁の響きよ! なっつかしい...あの頃は軍靴の音が不吉に忍び寄るのを感じながらも、つかの間の甘美な時間に浸っていたものだ"...何つって...
んなわけないでしょーがi "ゲッツイ.タンゴ.アルバム"というLPレコード(これぞ、懐かしの一品i)を手放してしまったのは、何とも悔やまれるのですが、初めて聴いたのは32年くらい前のことでした。
私の音楽歴ではストーンズとか、ザ.フーの方がずっと古いです。
でも郷愁をそそるのはこっちなんです。アルゼンチン.タンゴしかり、オールド.ジャズ、ラテン然り...
懐かしい音楽というのは、元々そのノスタルジー感をそそられるものだ、ということを改めて認識させられました。
そして、私は理屈抜きにそうした音楽に惹かれてしまうということも...
何分生まれる以前の音源ばかりな訳で、私にとっては未知のものであるハズなのですが、どうしてもノスタルジーを感じてしまうのは私だけでしょうか?
こうした古いタンゴを聴いた時でも、シャンソンを聴いた時でも既視感ならぬ既聴感?みたいなものを感じたことがあります。
そして又、元々古びているからなのか、古さを感じないのです。(もっともこういう感覚は現代の水準という観方に囚われている向きにはおそらく分からないでしょう。そういう人はずっと新しいものを追っかけ続けなければならないでしょう)
こういう音楽経験というものは、私の母がやはり愛好しており(父とは比較にならないくらい通じていました)、その自覚されない影響というものはあるにせよ、全く私に固有のものから来ている感じがします。
"私の魂の故郷に戻りたいi"
未知のものだけれど、知っている、馴染みがある...懐かしいi...自分自身を取り戻したようになる...
そうです。直接的な関連性はありませんが、あの魂の帰還にあった時と通うものがあるのは確かなことです。
本当に懐かしく感じるものは、自分自身と出会うことなのですから。
思えば"好きだ、惹かれる"という単純な嗜好に向かわせてくれず、流行だとかブランドだとか優劣だとかの"邪道"へと眩惑させる、音楽産業の周辺にあって、何度かの試行錯誤を経てごく自然に落ち着いたのは、"郷愁を呼ぶ旋律"を求め始めたのがきっかけなのでした。
それは全く時を超えた世界からの旋律なのです。
ゲッツイ? 例によってよお分からん名前出して恐縮ですが、"ゲッツイ! いや懐かしいのオ...ワシの青春そのものじゃった..."という人は今、何人くらい存命して居られることでしょう?
タンゴのファンならご存知のとおり、タンゴはその発祥に由来するアルゼンチン.タンゴと、主としてドイツを中心に欧州に広まったコンチネンタル.タンゴに大別されるのです。
ゲッツイ楽団は、後者がその全盛にあった、30年代(これはまさに日本が軍国主義を強め、大戦へと突入していった時代に相応しています)を中心に活躍したその代表的存在でした。
"ゲッツイ...「夜のタンゴ」、「夢のタンゴ」...おお、その東欧的憂愁の響きよ! なっつかしい...あの頃は軍靴の音が不吉に忍び寄るのを感じながらも、つかの間の甘美な時間に浸っていたものだ"...何つって...
んなわけないでしょーがi "ゲッツイ.タンゴ.アルバム"というLPレコード(これぞ、懐かしの一品i)を手放してしまったのは、何とも悔やまれるのですが、初めて聴いたのは32年くらい前のことでした。
私の音楽歴ではストーンズとか、ザ.フーの方がずっと古いです。
でも郷愁をそそるのはこっちなんです。アルゼンチン.タンゴしかり、オールド.ジャズ、ラテン然り...
懐かしい音楽というのは、元々そのノスタルジー感をそそられるものだ、ということを改めて認識させられました。
そして、私は理屈抜きにそうした音楽に惹かれてしまうということも...
何分生まれる以前の音源ばかりな訳で、私にとっては未知のものであるハズなのですが、どうしてもノスタルジーを感じてしまうのは私だけでしょうか?
こうした古いタンゴを聴いた時でも、シャンソンを聴いた時でも既視感ならぬ既聴感?みたいなものを感じたことがあります。
そして又、元々古びているからなのか、古さを感じないのです。(もっともこういう感覚は現代の水準という観方に囚われている向きにはおそらく分からないでしょう。そういう人はずっと新しいものを追っかけ続けなければならないでしょう)
こういう音楽経験というものは、私の母がやはり愛好しており(父とは比較にならないくらい通じていました)、その自覚されない影響というものはあるにせよ、全く私に固有のものから来ている感じがします。
"私の魂の故郷に戻りたいi"
未知のものだけれど、知っている、馴染みがある...懐かしいi...自分自身を取り戻したようになる...
そうです。直接的な関連性はありませんが、あの魂の帰還にあった時と通うものがあるのは確かなことです。
本当に懐かしく感じるものは、自分自身と出会うことなのですから。
思えば"好きだ、惹かれる"という単純な嗜好に向かわせてくれず、流行だとかブランドだとか優劣だとかの"邪道"へと眩惑させる、音楽産業の周辺にあって、何度かの試行錯誤を経てごく自然に落ち着いたのは、"郷愁を呼ぶ旋律"を求め始めたのがきっかけなのでした。
それは全く時を超えた世界からの旋律なのです。