人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

意識と現存

2018-06-17 11:11:12 | 意識、照明
"意識が世界を作っている...意識したものだけが存在している..."
と、言うようなことが哲学やスピ界隈で説かれたりします。
世界、宇宙、歴史...自己のことでさえ、意識したものが映し出されている部分が大きいのは確かなことでしょう。
しかし、それらが本当にリアルに、疑いのないものとして映し出しているとは言えないでしょう。
思考や感情などのバイアスがかかっているためです。
それは人それぞれの文字通り思い思いのものなので、何が真実かなど分かる訳ありません。
かように意識というのは、思考などとゴッチャなものとして理解されているのです。
こういうところから、"あなたの今の現実はあなたの意識が作り出しているのだから、あなたの意識を変えればいいんです"、あるいは"その意識を無くせばいいんです"...なんてことが平然と説かれたりしているのです。"出来るんなら、やってみろi"としか言いようがありません。
こういう目論みというのは意識でなく、意念であり、間違いなく思考に基づいているのです。
意識はコントロール出来るものと"考えられている"訳です。
私がよく意識が向く、とか向いちゃうとか言っているものは、こういうことでは全くありません。
意念、思考の根っこにあるもので、それをどうにかしようとすることは、この大地を自分の精神力で動かそうとするようなことです。
ただ、微妙な言い回しになりますが、意識的になる(これが向くというようなこと)ことは可能でしょう。
そこから取っ掛かりとして、意念的なものに依拠しながらも、それから離れ、超えられる道が開かれるのです。
それは取りも直さず思考以前にある、大空、大地、大気の存在にも似た、その思われた以上に深く、広がった意識に気付くということに他なりません。意識的になるとは、気付かされることと言ってもいいでしょう。
何故、その意識が向かうということが可能なのかと言うと、大地が既にあるように、現存しているものがあるからです。
それは"かくあれかし"と思う以前にあったのですi このものが意識を惹き付けるとも、それが向いたところに現存する...否していたとも言えるでしょう。
これは意識と現存するものは、分かち難く結び付いていることを物語っています。
だから、人為的にハタラキかけなくとも、自ずからそーなってしまうのでしょう。
そして、最も愛してやまないものというものが何であれ、何人にとっても、この思いを超えて現存するものでないものは無いでしょう。
"あなたの現実はあなたの意識が作り出している"という、所謂意識万能論は"現実"にそぐわないものがあります。
"イヤーな現実は意識しないで、ハッピーな現実を意識しましょう"なんて、"そうなれ!"という思念にトラワレ、そうならなかったら"ヤッパリ、そうならない"現実にまつわる思念にトラワレてしまうばかりじゃないですか?
現実はすべて意識が作り出している訳じゃないし、作り出そうとすること自体が意念によるものです。
又、その現実は意識の(人為的なものでない)有り様によって、どのようにも変わって行くものでしょう。
置かれた現実はどうあれ、最高、最愛のものに出会ったら、そっちがリアルなものになってしまうでしょう。
現存するもの、それが意識に臨んでくる現臨は、意識と共にある...意識されたところにそのものはあり、そのものに意識が向けられる...これこそ疑うことの出来ないリアルな現実では無いでしょうか?



コメント
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