"その瞬間、ずっと続いていた頭痛が消えたi
そればかりか、他のあらゆる苦しみが無くなったi
私の内で愛、平安に満たされることで、それは追い払われたのだ
あれほど苛み続けた死の恐怖すらも消えたではないかi
愛、平安...神と共にある...遠い昔に置き忘れていたもの...
今、ここによみがえったのだi...死に至る病から救われたのだ..."
重大な機能不全、疾病というものは、それが回復されることで知ることが出来るのです。
慢性化された、恒常的な苦しみというものは、自覚されなければ分かりません。
不満、ストレス、人間関係の諸々の軋轢...病気の診断は下されなくとも、それは健常態でないということを示しているのでしょう。
私は数十年前、一瞬のことではありましたが、人間の自然な、本来の状態というものを取り戻すことが出来たのでした。
健常であることは、復元、回復することに他ならないのです。
私個人に起きたことを言っているにも関わらず、人間全般に関わるようなことが何で分かるのか?、と言われそうですが、そういう風に感じちゃったことを言っているまでです。
正しいかどうかは別として、私的なことと普遍的なこととが、切り離されて感じないということが、こういう意識状態にある時の特徴と言えるのです。
ここで、"死の恐怖が消えた"、と死を超えた永生というものがあるようなことを匂わせておりますが、本当のところは分かりません。まだ目の黒い私が言っていることなのですから...
しかし、生きている人、本当に生を享受している人なら...自然な、本来の状態というものがあるのなら、どんな異常な、逸脱した状態であっても、そこに戻ることが出来るということは分かるでしょう。
さらには、見えないところで、回復を促すようにハタラキかけているものがあるということも...これを神的なハタラキと言ってもいいでしょう。
つまりは、人間は救われるも救われぬもない、本来からそうなっているということなのです。
根底において神的なものとつながっている...
人類は滅亡するかもしれない...そういう相しか見えてこない...だから何?
形あるものはいつかは滅びるでしょう。その過程においては幾多の苦難、混乱、不調和が待ち受けているかもしれない...
しかし、それを追いやり、超えて臨んで来るものに与ることが出来たなら...それを回復することが出来たなら...
私はここで前回の悲観的トーンとは、真逆の楽観的なことを言っているのかもしれません。
これは隣合わせのものです。一寸観方、感じ方が変わればこういう風になるのです。
そして、両方を貫いて変わらないことは、我々は神に立ち返らなければならないということでしょう。
どうも最近、あの時感じられたことがアリアリと呼び覚まされることが多くて...これ今感じさせられていることでそうなることに他なりません。
おそらくこの世界的規模の日蝕と無関係ではないでしょう。
しきりに、いや増しに強まる神の耳鳴り...
そればかりか、他のあらゆる苦しみが無くなったi
私の内で愛、平安に満たされることで、それは追い払われたのだ
あれほど苛み続けた死の恐怖すらも消えたではないかi
愛、平安...神と共にある...遠い昔に置き忘れていたもの...
今、ここによみがえったのだi...死に至る病から救われたのだ..."
重大な機能不全、疾病というものは、それが回復されることで知ることが出来るのです。
慢性化された、恒常的な苦しみというものは、自覚されなければ分かりません。
不満、ストレス、人間関係の諸々の軋轢...病気の診断は下されなくとも、それは健常態でないということを示しているのでしょう。
私は数十年前、一瞬のことではありましたが、人間の自然な、本来の状態というものを取り戻すことが出来たのでした。
健常であることは、復元、回復することに他ならないのです。
私個人に起きたことを言っているにも関わらず、人間全般に関わるようなことが何で分かるのか?、と言われそうですが、そういう風に感じちゃったことを言っているまでです。
正しいかどうかは別として、私的なことと普遍的なこととが、切り離されて感じないということが、こういう意識状態にある時の特徴と言えるのです。
ここで、"死の恐怖が消えた"、と死を超えた永生というものがあるようなことを匂わせておりますが、本当のところは分かりません。まだ目の黒い私が言っていることなのですから...
しかし、生きている人、本当に生を享受している人なら...自然な、本来の状態というものがあるのなら、どんな異常な、逸脱した状態であっても、そこに戻ることが出来るということは分かるでしょう。
さらには、見えないところで、回復を促すようにハタラキかけているものがあるということも...これを神的なハタラキと言ってもいいでしょう。
つまりは、人間は救われるも救われぬもない、本来からそうなっているということなのです。
根底において神的なものとつながっている...
人類は滅亡するかもしれない...そういう相しか見えてこない...だから何?
形あるものはいつかは滅びるでしょう。その過程においては幾多の苦難、混乱、不調和が待ち受けているかもしれない...
しかし、それを追いやり、超えて臨んで来るものに与ることが出来たなら...それを回復することが出来たなら...
私はここで前回の悲観的トーンとは、真逆の楽観的なことを言っているのかもしれません。
これは隣合わせのものです。一寸観方、感じ方が変わればこういう風になるのです。
そして、両方を貫いて変わらないことは、我々は神に立ち返らなければならないということでしょう。
どうも最近、あの時感じられたことがアリアリと呼び覚まされることが多くて...これ今感じさせられていることでそうなることに他なりません。
おそらくこの世界的規模の日蝕と無関係ではないでしょう。
しきりに、いや増しに強まる神の耳鳴り...