人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神の導きと守り

2021-05-07 12:13:26 | ガイダンス
悟りを目指すにせよ、本心を開くにせよ、本気で精神的道に取り組もうとする者にあっては、不測の事態が起こることもあり得る、ということを頭に入れておいた方がいいでしょう。
よくあるのは、私も先日そうなりかけたのですが、意識が遠退いて、日常の感覚がすっかり薄れてしまうようなことです。
こういうゾーンに入り込んで、中々日常に戻ってこれなくなることは、私自身は一度もありませんが、ある瞑想会で2度ほど直接目撃したことがあります。これは、周囲に人が居たから事なきを得たようでした。
極端な話では、まかり間違えると"マカル"ことだってあるかもしれないのです。
私は、いつも"思考を超える"なんてことを事も無げに言ったりしていますが、それは危険と隣り合わせのことには変わりないでしょう。
そこで、意識が飛びそうになったり、精神がアンバランスになった時の対処法として、よく言われるのは、意識を頭の方じゃなくて、下の方に向け、踏みしめている感覚を意識するなどしたらいいのです。
(もっと根本的な対処法は後に述べるとして)とにかくアブナイと感じたなら、無理にことを進めないことです。
しかし...もし、そこで喩えようのない、愛、幸福感というものを感じたなら...惹かれてやまないもの、どうにも惹き付けられてしまうものを感じてしまうのなら...あなたはそれをアブナイと感じるでしょうか?
そして、私が神の手がかると呼んでいる、"不測の事態"にでもなったなら、おそらくもう手遅れでしょう。
そうなったら、もうすべてをゆだねるしかありません。二度と現世に戻ってこれなくなるかもしれません。もしかして、マカルことも...
これは極端な例だし、私は経験したことないのでこれを書いていられる訳で、多分、無用な心配することもないのでしょう。
どっちみち、神はあなたの悪いようにはさせないと思いますよ。
ということは、どういうことになろうと、そこには愛、平安が感じられることはあっても、あなたにとって不都合なこと、苦しみや恐怖というものは感じられない、ということなのです。
自分の意志に反して、別の意志に支配されてしまうということでもありません。
とはいえ、やっぱりフツーの人間であれば、"それはヤバいことなんでは?"、と思い、感じるであろうことは私だって避けたいですよi、人間なんですから...
そして、今までの経験上、ヤバいことはそうは起きないこともフツーのことでしょう。
しかし、これだけは言えるでしょう。神というか、私の本心的なものも含めた大本の意志というものには、生死を超越したものがある、と...。
私が初めて、思いを超えた事態のことを知らされた時というのは、そりゃもう、意識が飛びそうになり、そのまま無くなってしまうような恐怖に見舞われたのでしたが、これは全く前記したようなことと隣り合わせのものという他ありません。
これは、神的なものが臨んでいるかどうかの違いなのです。
私はその窮地を、ひたすら神に祈り続けることで脱することが出来たと同時に、その現臨に与る道も開かれることになったのでした。
祈りを蔑ろにした精神的道にこそ、危険が待ち受けていると言っていいでしょう。
神は導き手であり、又守り手でもあることをいつも身に覚えています。
そして、人間的観点から言っても、人間を超越した観点から言っても、神は我々を悪いようにはさせないものでしょう...。


コメント
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