人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

「私は在る」という意識

2023-06-01 08:56:24 | 意識、照明
”意識について考えてみよう...
意識とは何ぞや?
心理学などによれば、こうして意識しているのは、顕在意識にある、ということで、その奥には潜在意識というのがあるらしい。それは無意識ではないのか?
その他超越意識とか集合意識とか...それらを顕在的?な私は意識出来るのだろうか?”
知らん!...メンドクサ!...
言うまでもなく、意識について考えているのは、顕在的?な分別心、思考から為されるのです。
”考えてみる”と、如何に思考次元と意識次元のことが交錯されて理解されているかが分かるようです。
意識について考えられたものが意識のことらしい?
そのような思考とゴッチャにされたものと区別して、”純粋意識”と言ったりします。
便宜上、こう表現するしかないですが、我々は純粋意識にある時、それを考えることは出来ません!...それはまさに思考から離れた意識状態なのだから!
それが顕在したものなのか、潜在し、超越したものなのか、それらはすべて後付けで分別されて認識されたものに過ぎません。
ただ、このことだけは言える...それがどのような意識状態だろうと、”私は在る”、という感覚を伴ってあるということです。
ややこしいことですが、それを仮に自己意識と呼んでもいいでしょうが、それは通常の誰それの個人的意識(自我意識)とは違います。
その自己とは、あるいは自他未分的な意識かもしれず、又普遍、全体意識というようなものなのかもしれないのです。いずれにしても”私は在る”という感覚は消えることは無いでしょう。
それがなければ、自他未分的なことも、全体的なことも認識出来ないはずなのです。
このように、意識と言われているものはすべてこの自己意識を離れては無いと言っていいでしょう。
無意識というのは、そのように考えられたものなのです。意識があるとかないとか、そのようなことはそうした状態にあっては考えられないのだから!
ただ、在るものが在る!...思いは消えてもそれは在る!...在るのか、在らしめられているのか?、ただ、それは在った、在る、在り続けるだろう...
と、いうようなことを勿論...考えてみたのでした!(在るものに乗っかってね!)
コメント (1)
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