人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

絶対的なこと

2023-06-10 09:36:06 | 覚醒
何度か書いていることですが、所謂覚醒体験について改めて書いてみます。
覚醒というのは、読んで字の如く、眠っている状態、夢見の状態から目覚めるようなことです。
言い方を変えれば、それまで眠っていた意識が目覚めることとも言えるでしょう。
その意識のことを思考マインドとごっちゃにされている意識と区別して、”純粋意識”と言ったりするのですが、何度も言っているように、思考に閉ざされた状態とそれから自由になった、超えられた状態の違いが明らかにならなければ、覚醒とはどういうことなのか理解することが出来ないし、そもそもそういう事象も起こり得ないでしょう。
そういうことが起こって(起こるのです!、自らは為し得ないのです!)初めて分かるのです!
如何に思考マインドによって自分自身も、その見て、思い、感じている有り様すべてが支配されていた、ということが!
そのほとんどが自分の外部からの、他者からもたらされているものなのであり、人からの、世の中からの”こうである、こうあらねばならない”、という思いに操作、支配され続けられていた、ということなのです。
六道輪廻に縛られるという...輪廻という表現を使えば、こうした外からの思念に翻弄され、支配され続けている心的状態がそうだと言えるでしょう。
そこには、そうだと信じ込まされ、思い込まされていることばかりがあるだけで、何一つ確たる、不変、普遍のものなど見い出せないのです。
そのことに疑問、苦しみを感じられる者はともかく、自らそうした外からの思念に隷従してゆく心的態度、たやすく、強固に”ハマる”人というのは、その状態を自ら正しいと思い込んでいる故、そこから抜け出すことはとても困難なのです。
だから、狂信者、妄信者ほど精神的目覚めから遠いと言うのです。(これに関し、”近い将来、最後の審判のようなことがあるので、覚醒しなければならないのです!”などと人からの情報に煽られているような者など、全く笑止千万という他ないでしょう!)
このように、人が、世の中がそうだ、と言っていることに何一つ絶対的なことなど無い、と言っていいでしょう。”信じる、いや信じない”、といった思念の果てしない流転の世界で行われているだけなのだから!
絶対的なもの、不変なるものとは、あなたの内にあるのです!
いや、如何なる意味でも絶対的という言葉は使うべきではないのかもしれません。それがすべての混乱の元なのかもしれない!
それは、そういうものを目の当たりにした時、あなたがどう感じるかということにゆだねられるものなのでしょう。
感じるのはあなたしかいないのです!
そうそう、私がここで言っていることも、数多の他人が言っていることと同じなのですよ!
SNSを開けば、似たようなこと言ってる人沢山いるぞ!
何を聞き、理解しようが、あなた自身が感じなければ、絶対に...”ダーメ!”
これが絶対的なこと?!
コメント
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