人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

死んでみなきゃ分からないが...

2023-06-17 09:47:17 | スピリチュアル
何度となく言うように、私は死後の世界や前世のことなど、それ自体を否定していません。
ただ、そういう不可知な、不確定なものを確かなものと妄信することに否定的なだけです。
いや、自分自身ではそうしたことについて、揺るぎない確信めいたものもあるにはあるのですが!...しかし、公には上記したような次第なので、そういう思いは引っ込め、自分の見解を表す際には、“これはあくまで私の想像ですが...“という文句を必ずつけ加えたりしているのです。
そういう訳で、今日は人間の個性というものは、死後存続するのか否かについて感じていることを記してみたいのですが...結論はやっぱり死んでみなきゃ分かりません!(ちょん!)
というよりも、まず個性とは何か、ということから触れないとならないでしょうが、性格とか人格とか、もう面倒くさくなりそうなので、それはここでは、後天的に形成されるものでなく、持って生まれたもののことだと言ってしまおう!
後天的なものは多分、死後(それがあるとして)残らないだろうことは、大方の人も感じておられるでしょう。(これは、死とはどういうものか?、という命題にも関わるものでしょうが、ここでは触れない)
そして、固有名詞で呼ばれるような私は、死を待たずとも、表層意識(思考)が後退して純粋意識が目覚めた時に希薄になり、代わってそれまで隠れていた、持って生まれた自分の個性が顕わになるのです。
私は何を感じて生きて来たのか?、私でなければ感じられない、他の誰でもない唯一無二の私!
それは、個性の拠って来たる源でなくて何であろう...
持って生まれたものには、何一つとして、無駄な、無意味なものなどありません。
ただ、その表に出て、分化したものと、その本来性には感じ方として大きく異なったものがあるのは言うまでもありません。
それで、私もそうでしたが、“それまで自分だと思っていたのは幻想であり、本当の、本来の自分に目覚めた!“、と感じたりするのです!
そして、その本来の自分は、何か生き通しのように感じるのです!...だから私は、“もうここで果ててもいいや!“と感じて、死の恐怖が消えてしまったのです!
と...件のことについて、到底一口で言い表すことは出来ないものながら、これで結論めいたことを言ったことになるでしょうか?
いいや、それはあくまで、まだ目の黒い私が言っていることに過ぎないのですよ!
一つ言えることは、このことは、“表層の思いがすべて“と思い込んでいる向きには、それを超えたものがあることを知る契機となるということでしょう。
そして、又それは、こうして“生きている“人間にとって、計り知れない恩恵をもたらすものであることは間違いないでしょう。
そしてそしてこのことは、どこまでもあなた自身の問題であり過ぎるのです。
“これが霊界の、輪廻転生の真相だ“、などとどんな他者の言葉も鵜呑みにしてはなりません!(深く共感したのなら、それを自分の奥深くで感じていたらいいでしょう)
一体、いつまで自己の内奥からでない、中身の無い思念世界をぐるぐる回り、輪廻に迷い続けるつもりなのか!
何年後だと!...バカを言うな!、最後の審判は、ずっとその終わりなき輪廻と隣り合わせなのだ!
だから、人間は、生きても死んでも目覚めなければならないのです!
コメント
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