人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

直接的に知ること

2023-06-16 09:22:42 | 雑感
あの反面教師の画伯が自身のブログで、“一般的に言って“と切り出して、死後の世界のことに関したことを書いておりました。
私はてっきりそれについての一般論を引き合いにして、それを自分で検証をするものだと思ったのですが...
これまでと同様、まったくそういう主体性を持った考察など展開されず、いつも通りの誰かの説に迎合して、ただ“そう信じたい、信じさせられる“ことにつなげられてしまうのでした。
ずっとこうした思いのクセ(流転する思いの輪廻)から抜け出すことが出来ないようで、信じやすい人間の心の闇を見るような思いにさせられました。
一般的な話をするんなら、信じたい思いは、引っ込められてなければオカシイ!
それで何?...死後、人間の個性は存続するかどうかって?
あのね、何で目の黒い人間が、決めつけたこと言えるか、ってんですよ!
この御仁は、どうか?も何も、信ずる観念に支配されていて、“死後の個性の存続“のためにも“覚醒しなければならない!“のだそうです。
いやだから、こういう幼稚な心的状態から目覚めることが先決でしょう。
決めつけたこと言えば、そうでなきゃ、純粋意識の目覚めの契機など絶対に開かれる訳無いのです!...それは、まったく持って、自己自身に直結したものなのだから!
本当にスピリチュアルなことというのは、神についても、霊的存在とされるものでも、決めつけたことは言えないはずなのです。思いを超えたものなのだから!
多分、実証に基づいた結論は出ないだろうけど、検証、考察は大いに為されるべきだと思います。
もっとも、そういうこととは別に、自己自身に直接感じるということはあります。
それは、頭だけの、よそからの情報から知り得たこととか、そんなペラペラなものとは比較にならないほどのインパクトを持っていたりします。
ある意味では、自分自身の結論ともなり得るものかもしれません。
しかし、それは言うまでもなく、他の人、あなたにとってのものじゃないのです!
私があなた自身の結論らしきものが分からない如く...それが“直接的に知る“という意味なのです。(これに基づいた考察こそが、今一番求められるものではないでしょうか?)
そういう意識状態に目覚めることがつまりは、覚醒、エンライトメントに与ることなんだ!
...っていうような暗黙の了解ってありまっしゃろ?
一般論かもしれませんが?!...
コメント
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