私がチョイと知ってる反面教師画伯は、いつもトンデモなことを書いているのですが、これにはホントに驚きました!
“覚醒するには、カルマをすべて清算しなければならない!“、のだそうです。
覚醒に与るような人とはどういう人なのだろうか?、この人らにはカルマが全然無いとどうして分かるのだろうか?、誰が覚醒に与れるのだろうか?...
言うまでもなくこの御仁は、誰かが言ってることを真に受けて、そう信じ込んでいるだけなのです。
40年以上もの間、五井先生を信奉していて、それに則った修業をしているらしいのですが、五井先生がそういうことを言っていたでしょうか?
ずっとそういうことを信じ続けていたというのか!...そして、覚醒することを目指しているのか?、自分でやって出来る、と!
迷った人間は、迷ったことを周囲に拡散してゆきます。何というカルマの流転だろう...
まず、そういう先入観、固定観念に囚われていること自体、カルマの呪縛を受けていることを知らねばなりません。この他陰謀論、人類の多くが淘汰されるという予言、生まれ変わりなども同様です。
そうそう、カルマは前世から持ち越されているという。...五井先生も前世のことを言っていたのは確かなことですが、それは、個人の力ではどうにもならないもの、という宿業観を強調したためでもあったと思います。
私は勿論、カルマそのものを否定している訳ではありませんが、自分で消そうにもどうにもならないし、何のカルマがどう作用し、消えたかなど考えたって分かりゃしません。考えるだけ無駄でしょ?
それより、そういう無駄な想念、トラワレから自由になることの方が重要なことでしょ?
五井先生は、思いは常に神の方に向け、入れるということを重点に説いていたのではなかったか?
この御仁、ずっと自分が為そうとする思いから抜けることが出来ないようなのですが...それがカルマの何たるかを物語っているのでしょう。
祈るのは自分、カルマを消そうとするのも自分、霊的に進化し、覚醒、悟るのも自分...自分の力でどうともならないことは、自分を超えたものに全託するしかないのだが...全託するのも自分!
五井先生の道から脱線して、カルト集団にハマることこそは、大きなカルマなのではないか?
すべてのカルマを清算しないと、って!...ま精々、自分の足下をよく注意して歩くことですよ!..アリンコを踏みつぶすとも限らないので!
ほとんどの人間は、そんな神経症のような思いから自由に生きているのです。
カルマのことなど知ったこっちゃないのですよ!
勿論、悪いことをすれば、悪いムクイがある、なんてことは子供だって知ってることですが...
諸々の思いから自由に、トラワレ、障りなく生きたい、とは誰しもが願っていることでしょう。
思いを超えたものを頂くことは、どんなに自由に与れることでしょうか。
自分で覚醒しよう!、などとたぎるような思いからも自由に!
そうすると、逆説的に目覚める時には目覚めたりする、かもしれない?
それで、カルマが解消されるかどうかは知りません。
しかし、少なくとも、カルマに纏わるトラワレから解放されるのは確かなことでしょう!
いや、だからどう考えても、“カルマを解消しなければ!“、という方向軸とは逆なんだ!
という訳で、また一つ反面教師殿から貴重な学びを受けることが出来ました。
有難う!(皮肉じゃないよ!)
“覚醒するには、カルマをすべて清算しなければならない!“、のだそうです。
覚醒に与るような人とはどういう人なのだろうか?、この人らにはカルマが全然無いとどうして分かるのだろうか?、誰が覚醒に与れるのだろうか?...
言うまでもなくこの御仁は、誰かが言ってることを真に受けて、そう信じ込んでいるだけなのです。
40年以上もの間、五井先生を信奉していて、それに則った修業をしているらしいのですが、五井先生がそういうことを言っていたでしょうか?
ずっとそういうことを信じ続けていたというのか!...そして、覚醒することを目指しているのか?、自分でやって出来る、と!
迷った人間は、迷ったことを周囲に拡散してゆきます。何というカルマの流転だろう...
まず、そういう先入観、固定観念に囚われていること自体、カルマの呪縛を受けていることを知らねばなりません。この他陰謀論、人類の多くが淘汰されるという予言、生まれ変わりなども同様です。
そうそう、カルマは前世から持ち越されているという。...五井先生も前世のことを言っていたのは確かなことですが、それは、個人の力ではどうにもならないもの、という宿業観を強調したためでもあったと思います。
私は勿論、カルマそのものを否定している訳ではありませんが、自分で消そうにもどうにもならないし、何のカルマがどう作用し、消えたかなど考えたって分かりゃしません。考えるだけ無駄でしょ?
それより、そういう無駄な想念、トラワレから自由になることの方が重要なことでしょ?
五井先生は、思いは常に神の方に向け、入れるということを重点に説いていたのではなかったか?
この御仁、ずっと自分が為そうとする思いから抜けることが出来ないようなのですが...それがカルマの何たるかを物語っているのでしょう。
祈るのは自分、カルマを消そうとするのも自分、霊的に進化し、覚醒、悟るのも自分...自分の力でどうともならないことは、自分を超えたものに全託するしかないのだが...全託するのも自分!
五井先生の道から脱線して、カルト集団にハマることこそは、大きなカルマなのではないか?
すべてのカルマを清算しないと、って!...ま精々、自分の足下をよく注意して歩くことですよ!..アリンコを踏みつぶすとも限らないので!
ほとんどの人間は、そんな神経症のような思いから自由に生きているのです。
カルマのことなど知ったこっちゃないのですよ!
勿論、悪いことをすれば、悪いムクイがある、なんてことは子供だって知ってることですが...
諸々の思いから自由に、トラワレ、障りなく生きたい、とは誰しもが願っていることでしょう。
思いを超えたものを頂くことは、どんなに自由に与れることでしょうか。
自分で覚醒しよう!、などとたぎるような思いからも自由に!
そうすると、逆説的に目覚める時には目覚めたりする、かもしれない?
それで、カルマが解消されるかどうかは知りません。
しかし、少なくとも、カルマに纏わるトラワレから解放されるのは確かなことでしょう!
いや、だからどう考えても、“カルマを解消しなければ!“、という方向軸とは逆なんだ!
という訳で、また一つ反面教師殿から貴重な学びを受けることが出来ました。
有難う!(皮肉じゃないよ!)