「あなたは、”現臨”とか、いつも言っているけど、それはそも、一体何なんですか?、神の表れですか?」
ーいや、それはどうも...はっきり分からないですねえ...だから”神的なもの”、とボカして言っている訳で...それは、”神のようなもの”ということになるでしょうか?...しかし、それは何かの表れには違いないでしょう?...そうでなきゃ、そういうものを感じ、認識することは出来ないですから...
「そこをボカしたり、曖昧なこと言わないで、ハッキリと神なら、神と言ったらいいじゃないですか?」
ーいや、ワカランもんはワカラン!...だから明確に言えません!
「あなたは、そんな曖昧な、不確定なものを信じているのですか?」
ー曖昧...不確定...それは、表現がそうならざるを得ないことを言っているまでで、何とも曰く言い表し難いことなもんで...
「又、そう曖昧なことを!...」
ーあのですね、曰く言い表し難いものというのは、こっちの受ける感じとしては、こんなにもリアルな、目の当たりに、ダイレクトに伝わるものは無い、と言っていいものなんですよ!
「だったら、なおさら、ハッキリと言葉にして、明確に伝えるべきではないですか?」
ーそんなもん、神はこうこうで...神の表れはどうで...とか言葉で説明されるものなんて、すべて“分かったようなもの“に過ぎないでしょう!
「分かったようなもの?...」
ーあなたの合理に合わせたい頭には、一応分かったことになるでしょうが、そのものに合うことは無い!
「それは、分からないもの?」
ーそう、曰く言い難いもの...
「そういうものは、信じられないでしょう?」
ー何故、信じる必要があるのですか?!
「ハア?...そんな、訳のワカランもの、どうして信じられるのですか?」
ー愛のようなもの、安らぎのようなものが感じられるからです!
「又、出たよ!...のようなもの!...」
ーそれが又、曰く言い難いものなもんで!...愛、安らぎのようなものを感じる、ということは、信じようとしなくても、信頼のようなもので、自然に意識が動かされてしまうのです。
「愛、安らぎ、信頼...なんか分かるような気がする...」
ーそれは、愛が何であるか、安らぎが何であるか、それがどこから来るのか?、ということは、分からなくても、信じられなくてもいい、ということではありませんか?
「だから、神が何であるか、それが神なのかどうかも分かる必要も、信じる必要も無い?」
ーそういうこと!
「おっ!、ハッキリ断定的になりましたねえ?」
ーそれが感じられる、ということは言葉を要しない、自明なことだから!...
「う~ん...分かったような、分からないようなものだなあ!...」
ーいや、それはどうも...はっきり分からないですねえ...だから”神的なもの”、とボカして言っている訳で...それは、”神のようなもの”ということになるでしょうか?...しかし、それは何かの表れには違いないでしょう?...そうでなきゃ、そういうものを感じ、認識することは出来ないですから...
「そこをボカしたり、曖昧なこと言わないで、ハッキリと神なら、神と言ったらいいじゃないですか?」
ーいや、ワカランもんはワカラン!...だから明確に言えません!
「あなたは、そんな曖昧な、不確定なものを信じているのですか?」
ー曖昧...不確定...それは、表現がそうならざるを得ないことを言っているまでで、何とも曰く言い表し難いことなもんで...
「又、そう曖昧なことを!...」
ーあのですね、曰く言い表し難いものというのは、こっちの受ける感じとしては、こんなにもリアルな、目の当たりに、ダイレクトに伝わるものは無い、と言っていいものなんですよ!
「だったら、なおさら、ハッキリと言葉にして、明確に伝えるべきではないですか?」
ーそんなもん、神はこうこうで...神の表れはどうで...とか言葉で説明されるものなんて、すべて“分かったようなもの“に過ぎないでしょう!
「分かったようなもの?...」
ーあなたの合理に合わせたい頭には、一応分かったことになるでしょうが、そのものに合うことは無い!
「それは、分からないもの?」
ーそう、曰く言い難いもの...
「そういうものは、信じられないでしょう?」
ー何故、信じる必要があるのですか?!
「ハア?...そんな、訳のワカランもの、どうして信じられるのですか?」
ー愛のようなもの、安らぎのようなものが感じられるからです!
「又、出たよ!...のようなもの!...」
ーそれが又、曰く言い難いものなもんで!...愛、安らぎのようなものを感じる、ということは、信じようとしなくても、信頼のようなもので、自然に意識が動かされてしまうのです。
「愛、安らぎ、信頼...なんか分かるような気がする...」
ーそれは、愛が何であるか、安らぎが何であるか、それがどこから来るのか?、ということは、分からなくても、信じられなくてもいい、ということではありませんか?
「だから、神が何であるか、それが神なのかどうかも分かる必要も、信じる必要も無い?」
ーそういうこと!
「おっ!、ハッキリ断定的になりましたねえ?」
ーそれが感じられる、ということは言葉を要しない、自明なことだから!...
「う~ん...分かったような、分からないようなものだなあ!...」