人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人生の苦難の意味

2024-07-25 09:31:06 | スピリチュアル
精神的な目覚めなど、人生で重要な契機に会う前には、大きな苦難を経なければならないとよく言われたりします。
私は、以前それを否定しているとも取れることを書いたことがあるのですが、それは、ある人がその直前に、例えばよく言われる、クンダリーニの上昇に伴う際に味わう、心身に直接関わるようなトタンの苦しみに合わなければならない、などと決めつけた物言いで書いていたことに対してのものだったのです。
私も始めて、そういうことに与った時は、全く一時的なものでしたが、発熱、頭痛(これは、クンダリーニと関係しているかどうかは不明)に見舞われたこともありましたが、以降全く健常態であった時にも与っているので、そのように書いたまでです。
私は、誰もがそんなオソロシイ思いをしなければならない、などと気持ちを萎縮させてしまうようなことは書くつもりなどありませんよ!
しかし、これがもっと大きなスパンの、人生苦というか、人生の歩みに伴う諸々の苦難についてならば、それはあると思うのが自然なことでしょう。というか、それを感じてない人って居るかってんですよ!
ああいうことに与る人というのは、より深い、内省的な苦悩を感じるものだと思います。
そうでなければ、意識が内奥に、あるいは思いを超えたものに向かうことは無いでしょう。
そういうものは、神がそうさせていると言われたりするようです。そうかもしれません。
本当のところは神に聞かないと分かりませんが、私はそれが神の定めた、元々の意志のようには感じられないのです。
神の本当の意志は、我々に苦しみを与えようとしているのではなく、我々を神に向かわせよう、つなげようとすることにあるように思えてならないのです。
そのために、あれやこれやと諸々の思いに囚われた我々の心が挫かれてしまうような、苦難を伴う事態に導こうとするのでは無いでしょうか?
又、神の意志とは関係なく、そうしてカルマが解消されるということもあるのかもしれません。ま、考えても分からないことは、追ってもしょうがないですが...
それでも、私ならどうしても神、私を超えたもの、真我でもいい、そういう方に思いが向かってしまいます。だって苦しいのでしょう?
向かわざるを得なくなるのは、自然なことではありませんか?
そうすると、いつの間にか心が安らぐ...愛に包まれる、リアリティに目覚める...
神、真我に目覚める前には苦難が待ち受けている?...それは何かの法則、絶対条件のようなものなのでしょうか?
だけど、何と多くそこには、このもっとも肝心なことが抜け落ちて語られていることだろう!
これがあるから、如何なる苦しみも受け入れられ、乗り越えることが出来るのではないか!
それが無ければ...私もフツーに人の子...ツラい苦しいことはイヤ、逃げたいです。
それでも、あの愛、平安、リアリティは他の何ものにも代えられない!
それは、最愛なるものとの邂逅でなくて何であろう!...人生の苦しみはこのためにあった!
神の愛は、何かと引き換えにではなく、最初から与えようとされてあるのを覚えずにいられません!...





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