人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

楽しくなければ...

2018-04-10 18:40:17 | 祈りと瞑想
"瞑想するには、背筋をまっすぐにして、アゴを引き、足を組んで、手は膝の上に、呼吸は吐く方は多めに、吸う方は少なめにして、意識はどこそこのチャクラに集中して..."
ああ、メンドくさi
私は瞑想のハウツーものの本を読んだこともありますが、その細かいやり方についてのことからして読むことがイヤになってしまいました。
ハナっからやろうという気が起きてきません。
そうやって取り組んでいる人もおられるでしょうけど...楽しいのだろうか?
又、祈りというものについても、手は合掌したり、決められた姿勢で、そうでなければ効果が無いという、定められた祈りの文句を唱える、とか...もう、取り組もうとしているうちに、祈り心が失せそうになりそうです。楽しい?
こうしたものを私は、"瞑想のための瞑想、祈りのための祈り、修行のための修行..."などと言ったりするのですが、やる人はきっとやり続けるでしょう。ホントにやりたいのなら、他人が口を挟むことなどありません。
ホントにそうなのか、誰かにそう言われてる気がするからか、ただの惰性でし続けているのか、自分の気持ちに聞いたらいいのです。
まあ、瞑想でしたら健康、体力増進などのためという目的もあるでしょうが、そもそも何でそうしたものに赴こうとするのでしょうか?
"神とつながるため"だとか...そして、修行して心身を浄化して、欲望から離れようとするらしいですが、そうしないとつながることが出来ないでしょうか? そういう法則みたいなのがあって、あなたはそれを確かめたのですか?
もし、あなたのそういう思いとは別に、ジンジンと心身にそれまで味わったことの無いような感覚がもたげてきたのなら...それは意識が自ずと高まってきて、満たされてくる、平安がある...楽しいi
"いや、待てよ、それはヘンな霊のたぶらかしかもしれない...打ち消さねば..." いいでしょう、悪魔が退散するように存分に祈ったらいいでしょう。
それで消えるかもしれないし、消えないかも分かりません。消えたとしたら、愛、平安も消えるでしょう。
そして又、愛、平安を求めて祈り、瞑想をするのでしょうか? 何のために? 人生ってそんなに苦難だらけのものなのでしょうか?
神的なものが臨んで、つながってしまったら、形としての瞑想も祈りも必要無いではありませんかi
私はいつも意識が向いたら、それが臨んでくる、とか摩訶不思議そうなことを言っていますが、私がそういう人間でも何でもなくて、これはあちらの方からこちらに顕わになってくる、ハタラキかけてくる、ということを言っているのです。これが恩寵というものです。
この意識が自ずと向いちゃう、ということ自体がそういうことを言い表しているのです。
何か魂の平安を呼び覚まさずにおれないものがある...そのものに意識が向かざるを得ない...
そんな風なことが、ある意味では、修行ならぬ瞑想、祈り的なものと言ってもいいでしょう。
まあ、何でもいいのですが、要するに神的なものとつながればいいのですi これを欠いては本末転倒でしょう。
逆説的ですが、先の修行的瞑想、祈りでもいいのです(私はやる気が起きてこないですが)。楽しければ、喜びと共にあるのならば...神的なものが臨んだらどうしたってそうなるというもの...
小池先生は晩年いつも「君たち、集会は楽しいかい? そうでないなら集会なんかヤメた方がいいよ...」と言っていました。
私は今日の時代相というものに、神的なものの方が、顕わになり、我々にハタラキかけてきた、という実感を受けて、いつもこういうことを書かされているようなのです。
形としての、"こうやらなければならない"瞑想や祈りを超えて、一人一人が何の神であれ、仏であれ最愛のもの(最愛のものをイイカゲンなものに誤魔化してはならない)につながればいいのです。一人一人にとってホンモノであるものこそが普遍的なものです。
一人一人が真に平安に導かれれば、自ずと世界平和は実現されるでしょう。






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愛と真理

2018-04-09 17:28:43 | 
人は誰でもその人なりに真理というものを求めています。
物心がついて自然と、もっと"イロイロ知りたい"という欲求が芽生えてくる訳です。
そして、一角のことが分かっただけで、真理を究めたつもりになったりするのでしょう?
私の場合、この真理探求欲が旺盛になったのは、御多聞にもれず?精神的な道に関心が向くようになってからです。
私が自らの"ルネッサンスの時代"と規定している、昭和53年頃から二年ばかしの間は、毎日のように新たな学びを求め、又それに預かっていたことが思い出されます。
ま、改めて考えてみると別にどおってことないことだったりするのですが(笑)
そうですね。"この物理的な世界には見えない霊の世界とやらがある...有りと有るものは波動である、粒子である...世界は原因と結果によって成り立っている...世界は意識が作り出している...というような真理が分かったからといって...
お釈迦様じゃあるまいし、そうゆうことを身を以て悟り、目の当たりにする訳でもないし、そうらしいことを分かったつもりになるだけでは無いのか? 仮に本当にそんなことが分かったからといって、どーなると言うのかi 世界は自分の意のままになるとでも? その分かったという普遍、不変の真理と自分と何の関係があると言うのか?" 
かように、真理を知る、分かることに一体、何の意味があるというのでしょうか?
私の場合、上記した頃から一年くらい経って、その真理の探求と結び付いて、あのジンジンとした内的な感覚、それと共に意識が高揚してくるのを覚え始めました。
これが実に重要なことかと思われます。
その感覚があるということは、又愛、平安と共にあるということでもあるのです。
それからは、例えば読書の傾向などでも、単に頭の表層を撫でるばかりの知識を追い求めるようなことから、本当に魂の琴線に触れられる、共感出来るようなものに焦点が向かうようになりました。
実に真理を求めることと愛、平安を求めることは一つのことだということが、当時はまだその事を自覚していた訳では無いにせよ、覚えられていたのです。
その"感じ"は私の深部から来るものであり、そこでは愛と真理は一つのものなのです。
これはあのすべてを照らすかのような、私の内奥にある原初的理性とも通う、"照明の光"の別の面が、愛、平安に包まれることでもあることから導かれるのです。
愛に対応する感性も真理に対応する知性も、この相対世界では別々に働いているものですが、それらは人の内奥では分けることが出来ないものなのではないでしょうか?
真理を追究する..."その意味は?"と、意味を追究して行く...これ自体が知性が愛、平安と切り離されている様を表していると言えるでしょう。愛、平安を求めるのに意味、理由など無いものだから...
我々はそこに喜び、平安があるから真理を求めずにおれないのです。
そうでなければ真理の探求というものは何と無味乾燥で、退屈極まりないものとなることでしょう。いや、愛と切り離された我々の知性は、歯止めが効かずに暴走して、とっくの昔に人類は業火に包まれ滅んでしまったかもしれません。
愛なるものと真理なるものとは一つのもの...それは取りも直さず神的なるもののことでしょう。
そのものが顕わになると共に、我々、知的動物に隠された感性もありやかになるでしょう...。




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神の示現と救済

2018-04-08 12:19:07 | 
全くありふれた言い方ですが、私は神に、神的なものによって救われているのです。
そのもの無しに私はどうなっていたか分からない...私の人生はそのもの抜きではあり得ない...いや、この私自身も存在してなど居ないでしょう。
悩み多き日々...自分の思いに囚われ、その重圧に押し潰されそうになった時は、"この自分など無ければいいんだ"と思ったこともあります。
ところが、その自分という思い、意識というものが飛びそうになり、本当に無くなりそうになれば、自分が消えて行くという言い様のない、恐怖に襲われたこともあります。
人は実に自分の都合で苦境に陥るものですが、それらは本当に自分を超えたものによって救われたのです。
"救われる"ということはある意味では、本当の自分、本来あるべき自分を取り戻すことかと思われます。
ところが、本当の自分とは何かということは実は分かりません。ただ、安心といったものと共にそーゆー風に感じられるだけで言っているのです。
この自分だけからは、本当の自分のことは分からないのです。
私が私自身である時(そのように感じている時)、私は全く他の何ものからも自由だし、他におもねることもなく、他には代えることの出来ない、独一的なもの、一人格的なものを感じています。
こういうことは、非二元論者からは、個我、偽我として幻想とされてしまうようですが、幻想につながるものとは、実感というものを伴わない、否定出来ないような、確信的な感受を持たないものに着せられるものでしょう。
これを裏返せば、個我性が超えられてしまう、という実感もあり得ると言えるのです。
では、この個我、人格というものは、有るのか、無いのかどっちかに帰されなければならないものなのでしょうか?
この問題には、真に無くてはならないもの、それ無くしてすべてが立ち行かなくものが蔑ろにされていると感じざるを得ません。
本当に神的なものの有り様を歪めているのは、我々の人格の深みからのものでない、表層的思念に取り巻かれた宗教やスピ界なのかも分かりません。
ベルジャーエフは「人間が人間らしいのは、人間が神的なものを内に有しているからである」と言い、確か「神は人間よりも人格的である」とも言っていたでしょうか...神が個的なものを通して表わされたものが、独一無二の人格というものなのでしょう。
私がある事を"真である"と実感出来るのも、この私を超えた神的なあるものが内奥に生きているからであり、それ無しに寸時も私として生きては行けないのです。
実に神的なものを置いて真なるものは無いと言ってもいいのです。
神について様々な論議があり、短絡的な実体論で語られたり、唯心論に帰されたり、又有神論、無神論という論議自体からしても、如何に神的なものとズレを来していることでしょう。
これらは先の人間人格についての論議がそうであるように、我々は、"神というものは我々の思いを超えたもの"という認識から遠い、ということを物語っているのでしょう。
この世界は、一人一人の内に神的なものが生きていない、つながっていない、そこからすべてが立ち行かなくなってしまっていることを如実に示されているのです。
されど、神は望んだ者には臨まれる...いやその共々が神の示現なのでしょう。
神と共に真なるものが明らかになる...救いとはこの事を離れては無い...神の示現は我々人間を明らかにし、救いをもたらすでしょう。
神は一人一人の具体的な個を通して現れる...具体的な個にこそ、抽象的でない、普遍的な世界も開かれるでしょう。
神は真に私にとっても、世界にとっても救世主と言わずにおれません。




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見えざる導師②

2018-04-05 18:26:47 | ガイダンス
私の精神的な歩みの中で、特定の導師的存在との関わりというのは、ほとんど無かったのです。
しかし、導師は必要だと私も思います。というより、そういうもの無くして歩みようが無いと言ってもいいでしょう。
自覚の有る無しに拘わらず、何らかの導きが有るから、その道を歩まされているのです。
ラマナ.マハルシは常々、"本当の導師は、あなたの内に居る...真我が導師である"と言っていましたが、私の場合、その導師の姿は、見ることが出来なかった..."見えざる導師"ということになりそうです。
所謂(見えてる)導師というものが、あなたにとって本物かどうか、あなたを本当に確信に導くものかどうかは分からないし、とんだ、ニセモノだった、ということもあり得るのと同じように、この見えざる導きに則った生き方にも落とし穴も付いて回るものです。
ただ、その実害はずっと少ないということは言えるでしょう。精々ずっと妄想し続けることくらいでしょう。
私はいつも平然とこの見えざる導きについて、そういう例えば、示現のようなものがあって当たり前のように言っていますが、フツーの人に置かれましては、そんなものホントかどうか、分かりゃしないのが、どうも当たり前のことのようなのです(笑)
そうです...だから別に信じる必要など無いのです。他人の話など勿論そうですが、果たして自分が何となく感じている、この守護霊みたいなのは、ホントにそうなのか、ヘンな霊にたぶらかされているのか?"と迷っているのなら、無理に信じないでスルーするに限りますi
いたずらに中途半端な気持ちで深入りすると、先に触れたような妄想にハマることになるのです。
(私がいつも書いているのは、ヘンな人間の一つのサンプルに過ぎないということをくれぐれもお忘れずに...)
しかし、そうして疑いがもたげつつも、"どうしても、こうしても打ち消そうとしても、何だか信じたくなってしまう、惹かれてしょうがないものを感じてしまう"としたら...
これがミソなのですi こうなると、アカの他人の私の話でも"そうかなあ..."というものが過ってこないでしょうか?(笑)
見えざる導師というのは、内なる導師でもあり、自己信頼、真我的なものと切り離せないものなのです。これは分かる人には自明のことです。
そこには"守護霊とは何ぞや、その正体は?"、"自我でない、真我を見極めましょう"みたいな他人行儀な詮索的態度は止揚されてしまうのです。(見極めも大切には違いないですよ)
そこに信頼、導きというものがある...それは何がそうさせるかというと、いつも言うように"愛、平安"...それに尽きますi
それ無しに"信じる"、"信じられる"と言うことは無いのですi
このように、"理屈、思惑を超えて"、ということが取りも直さず"思いを越えたものに導かれる"ことです。
そして、自己信頼というものがありながらも、自分を超えた絶対他者が臨在してきます。
導師という場合、この他者性というものを指して言われるべきものでしょう。そこにイニシエーション、明け渡しというものがあるのです。
"見えないものが、そういうものになり得るのか?"という疑問もあるかと思いますが、私はむしろ"見えないからこそあり得るものだi"と言いたいです。
これは"見えてる"導師との関係でもおそらく同じでしょう。私は大調和協会の命位様と交流していた時、それに近いことがありましたが、相対していた大調和協会の命位様が消えてしまったような感覚を覚えたことがありました。
こう考えると、そこには絶対他者しか無いようにも、私しか無いようにも感じられます。二つあっても一つになってしまう...
まあ、こういうことは理屈では伝わりませんが、"愛、平安"、"自分の思いが超えられてしまうこと"に私は導かれた次第なのです。
そういうものを感じる人は放っておいても導かれるものですね。
それが見えざる導きというものでしょう...。


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無為人の思い出

2018-04-04 18:24:32 | 回想
私には大学時代が中心でしたが、Oという親友が居ました。
高校時代から顔馴染みで、同じ大学に行った友人の友人だったのですが、確か音楽の話がキッカケだったか、何時しか肝胆相い照らす中になったのです。
ロック、ジャズ...彼の傾向は大体分かりました。「じゃ、こういうのはどうだ?」と、シドニー.ベシエとかジャック.ティーガーデンなどの古いジャズのレコードを聞かせたら、大感激をしていたものです。
しかし、ロック界きっての異能歌手?キャプテン.ビーフハートを聞かせたところ、彼曰く...「ウーム、これぞ、ホントのロックだi」
私は、どこをどう聴いたらそういう感想が出てくるのか、首を傾げざるを得ませんでした。
普段の彼はノホホンとしてて、あまり感情を表に出すことが無く、会話も「ふ~ん、そうか...」といった感じで、実に淡白なものでしたが、根は寂しがり屋のように見受けられました。
実に付き合いが良くて、これは私の無為徒食時代を象徴するような話ですが、例えば新宿から池袋まで「電車に乗るのは、金が勿体ないし、暇だから歩いていこう」と私が言うと、直ぐ「ウン、そう、しよう」となるのです。(他の友人は"バカでねーのi"と、呆れ返っていたものでした)淡白ながらも、暗黙の内に了解し合えるものが感じられたのです。
こうなるのはお互い"無為人"という共通の感性に依るものと思われました。
全く行く目的も無し(取り敢えずの目的地は定めていたが、どこで脱線するか定かでは無かった)にただ、夜通し歩いていたこともあったのです。
歩き疲れたら今でしたら、ファミレスなどが有りますが、昭和50年代当時は深夜喫茶などに入ってました。
思い返すと、こういうオカシナ付き合いを通して、(又単独の時でも)"何にも無くとも、ただ歩いているだけで楽しい"という実感を覚えていたのです。
昭和54年春頃、あの意識が高陽してくるジンジンするものを自覚し初めて...
「やあ...楽しいなあ」「な、何が?」「何がって、楽しいんだからしょうがないi」「だから、何が?」「もう、僕はたまらんi 立っているだけで楽しいことが込み上げて来てしまうよi」「だから何?...」
というような、やり取りもした覚えがあります。
彼とは宗教やスピなどについて深い話はしたことがありません。
それでも、彼は、私がM教団に入信していたことも、離れた経緯も知っており、当時私は特定の団体から自由な立場に居たことも理解していましたが、まあ、特別反感も無ければ共感も無いという風でした。
ただ、私のフツーでないような喜びようには何か感ずるものがあったようで、彼の表情から何となく羨ましそうに感じているのが伺えましたが、自由への希求を強く持っていたのは確かなことでした。
実は彼はかなりの酒好きで、付き合いの上で、その時に度を過ぎる酒量(特に酒乱という訳では無かったですが)が玉に傷だったのです。
その精神的開放を酒に求めていたということでしょう。
私が関西に拠点を移すようになり、この経緯についても唯一彼に話したことがあったと記憶していましたが、どこまで本気にしていたかは定かではありません。
引っ越し当日も彼が来ていて、やはり何時もの淡白な流れで別れたものでしたが、やはりお互い照れ隠しながらも、寂しさを感じていたと思います。
その後一度移った先の私のところに来たこともありましたが、ますます酒量が増え、すぐグデングデンになってしまう始末でした。
結局そのまま、あるところで知り合ったという、年上の女性と共にどこかへ行ったきり、音信不通になってしまったのです。
もっと深い交流も出来たように感じています。
外を彷徨くのに良い季節になって、彼のことが思い出されます。
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