五井先生の白光会をやめられた、ある方が、”「世界平和の祈り」は今でも好きだけど、五井先生は好きになれない“、という旨のことを言っていたのですが、私はこれが全く理解出来ないのです。
その祈りは、五井先生が始められた訳だし、切り離して考えられないものでしょう。
会の方で指導とかで色々説かれ、そう、色が付いてしまった、それらのものが、嫌いになる、受け付けなくなったというのならよく分かりますよ。この方の場合も多分、このことが関係しているように思われます。
ちなみに私はその祈りを特に好きになったということは無いですが、祈りという道から人生が大きく開かれたことを思うと、今でも先生のことを敬愛しています。(狂信者の言葉などに接すると、ムカムカしてきますが、そこは切り離さないと...)
何かパッと意識が向くと、パッと霊なる現臨と共に、“見えざる五井先生”が臨むように感じることも時折あります。
よく考えると私の人生で、ホントに好きになったもので、嫌いになったものというのは無いんですね。
好きになる、惹かれるものがある、というのはもう決定的なものがあります。
それは、理屈では無い、分裂が無いということであり、すべてで一つの在り方と言えます。
そして、それは、おのずと意識が向けられる、動くということ...だからどうしようもないことなのです!
それに色々な思いで、実用的でないとか、流行りでないとか、”ヘンだ、皆からバカにされる“とか、ゴタゴタ余計なものを付着させて、見えなくさせてしまっている...きっと後悔しますよ!
それで幸福を取り逃がしてしまうのだから...
もし、思考機能というものが後退して、そういう余計な思惑を巡らすことが出来ず、何を頼りにしていいのか分からなくなった時、直に感じられ、暗夜を照らす光のようにも道標となるものは、そうした、おのずと意識が向く、動くものでしょう。
このことは、そういう局面でなくとも、“普通に考えても”分かるはずです。頭の中がごちゃごちゃでいっぱいでなければ!...
え?...好きなもの、惹かれるものが沢山あって、ごちゃごちゃしている?
そりゃあ、分かる!...分裂しそうだってことも...あれとかこれとか比較するから分裂するのです。”分別心“でするから...
そこは、ただ“好き、惹かれる”ということを感じ、意識していたら(そうしている私は一つなのです)、一つ一つが切り離されず、何か全包括的なもの(これが現臨?)にすべて包まれるようになります。
ただ、ホントに好きな、惹かれるものは、すべてで一つのものしかないのでしょう。
その祈りは、五井先生が始められた訳だし、切り離して考えられないものでしょう。
会の方で指導とかで色々説かれ、そう、色が付いてしまった、それらのものが、嫌いになる、受け付けなくなったというのならよく分かりますよ。この方の場合も多分、このことが関係しているように思われます。
ちなみに私はその祈りを特に好きになったということは無いですが、祈りという道から人生が大きく開かれたことを思うと、今でも先生のことを敬愛しています。(狂信者の言葉などに接すると、ムカムカしてきますが、そこは切り離さないと...)
何かパッと意識が向くと、パッと霊なる現臨と共に、“見えざる五井先生”が臨むように感じることも時折あります。
よく考えると私の人生で、ホントに好きになったもので、嫌いになったものというのは無いんですね。
好きになる、惹かれるものがある、というのはもう決定的なものがあります。
それは、理屈では無い、分裂が無いということであり、すべてで一つの在り方と言えます。
そして、それは、おのずと意識が向けられる、動くということ...だからどうしようもないことなのです!
それに色々な思いで、実用的でないとか、流行りでないとか、”ヘンだ、皆からバカにされる“とか、ゴタゴタ余計なものを付着させて、見えなくさせてしまっている...きっと後悔しますよ!
それで幸福を取り逃がしてしまうのだから...
もし、思考機能というものが後退して、そういう余計な思惑を巡らすことが出来ず、何を頼りにしていいのか分からなくなった時、直に感じられ、暗夜を照らす光のようにも道標となるものは、そうした、おのずと意識が向く、動くものでしょう。
このことは、そういう局面でなくとも、“普通に考えても”分かるはずです。頭の中がごちゃごちゃでいっぱいでなければ!...
え?...好きなもの、惹かれるものが沢山あって、ごちゃごちゃしている?
そりゃあ、分かる!...分裂しそうだってことも...あれとかこれとか比較するから分裂するのです。”分別心“でするから...
そこは、ただ“好き、惹かれる”ということを感じ、意識していたら(そうしている私は一つなのです)、一つ一つが切り離されず、何か全包括的なもの(これが現臨?)にすべて包まれるようになります。
ただ、ホントに好きな、惹かれるものは、すべてで一つのものしかないのでしょう。