鐡道の旅から戻った途端、家に籠もってしまいました。一日に1000km?近くローカル線で移動したせいかも知れません。 といいつつ昨日の終戦の日に不戦の誓いのために謹慎しているわけでもありません。(汗) 本来ならば靖国神社に参拝すべき日と思いますが、この日は暑さも手伝うのか何故か騒々しくて近寄り難い場所になっているようです。義父達の植えた櫻にも会いたいので涼しくなったら東京散歩のなかで行くつもりです。 戦後生まれの私には敗戦の日と言うよりもお盆の日が馴染みやすいようです。
8月15日にお経を上げに来たお寺さん(女性だったようです)が、日本は負けたそうですねと言うものだから祖父が追い出してしまった。とか 馬鹿正直な祖父は山ほどあった?一分銀や一朱銀を全部供出したので家にはびた銭しかないやら 近くを走る佐世保線で機銃掃射を受けて学生さんが腕を失った。 等々祖母から聞いたものの既に忘れかけた話をこの時期になるとちょっとだけ思い出します。 戦争の被害は少なかった町とはいえ当時は男手が殆どない町で大変だったようです。
我が家では実父を含め兄弟四人、母の家では兄弟三人が出征していたようです。 僥倖が積み重なり父を含め伯父達は帰還できましたが、日本中の家庭ではご承知の様々なドラマが起きていたのです。 各家庭が通ってきた戦前のことは知らんぷりというわけにはいかないようですね。 あの時代は暗黒で俺たちは関係ないという善人話をする層もいるようですが、庶民の家はそうはいきません。全身全霊戦争に勝つための努力をしていたと思っています。歴史をぷつりと絶つ考えは大変奇妙に思いますし、恥ずかしい態度だと思っています。祖母達から聞かされた話や山本夏彦氏や向田邦子さんの書き物を読んでいてもその雰囲気が伝わります。
今なら云える話でしょうが、国の指導層が世界の動きのキャッチアップを間違って舵を取る方向での判断ミスの積み重ねが続き、いくところまで行ってしまったようです。 近年の経済戦争もそうではなかったのかなと素人考えしています。
このようなスタンスは現在も与野党変わらず同じことを続けているようで、このまま人気取りを積み重ねていくとまた同じ道を歩んでしまうような気がします。 二言目には戦争の道という向きも多いのですが、今度は戦争でなく没落の道かも知れません。年金など出るはずもありません。 (汗)
国の姿を数百年保つには戦略が必要と云いますが、明治は72年の夢、戦後体制は60数年で壊れてしまいました。 これから考えると徳川体制250年は戦略があったようです。鎖国というのも戦略の一つ、しかしながら戦略は結果でしか分からないもの。 日本の指導層の方々は心して臨んで欲しいと考えます。 ポピュリズムや変節漢は企業や国を滅ぼすと思う最近です。 しかし、身近だった会社でもこの状況は変わらなかったので我々のDNAかも知れないなと半分諦めています。(笑)
と言う白昼夢でした。難しいコメント御容赦下さい。(苦笑)