さて仙台の文化横丁で盛り上がり、部屋に戻るとそのままダウンしてしまいました。翌朝は、小雨模様 8:08発一ノ関行きに期待して乗ったもののあの嫌いなロングシートです。東北本線は殆どロングシート列車で繋いでいるようでちょっとばかり興醒めです。鐡道が旅の友ではなく輸送機械になってしまっているので仕方ありませんね。JRのコンセプトでしょう。きっと(苦笑)
昨日書いたように平泉への連絡が悪くタクシーで直接中尊寺へ向かいましたが、その時間から豪雨模様。ついた時には道が川のようになる状態に上等の靴も水漏れ気味です。タクシー判断は正解でした。ちなみに一ノ関から中尊寺金堂裏まで2,980円、おつりはチップだぁー(笑)
やっぱり此処では芭蕉の文章に浸りたいと思うので平泉のくだりを引用させていただきます。
三代の栄耀一睡の中にして、大門のあとは一里こなたにあり。秀衡が跡は田野に成りて、金鷄山のみ形を残す。先づ高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡等が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐと見えたり。偖(さて)も義臣すぐつて此の城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ。
夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛哉(かな) 曾良
かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉 風に破れ、金(こがね)の柱 霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢(くさむら)となるべきを、四面新に囲みて甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降りのこしてや光堂
ずぶ濡れ気味で参道を下りましたが、それはそれで風情があります。千年昔、芭蕉の昔に思いを馳せるには雨もまた良きかなでした。
雨脚が強くなり門前では駅までのアクセスを求めてウロウロ。分かりづらいですね。でも何とか平泉駅に着いたものの毛越寺まで回る元気を雨に流されて早めに仙台まで戻ることにしました。「まだ土産も買っていないよ。」と倅はこちらが気懸かりの様子。
で、話の種に昔の人は知らない仙台名物牛タン料理を食べたいというので町まで出て食事、実は駅ナカは大行列だったのです。 そうそうこの日の仙台駅は大混雑です。何で?と思っても理由は分かりません。夏休み最終日曜日という人も多いようです。帰路は新幹線としていたのですが、五時台は全て満席という混み具合です。臨時便を探して無事東京へ帰り着きました。倅との旅はばんえつ号以来の8年ぶりですが、それなりに苦労しつつ成長しているようでした。米沢から山形に行く途中、老夫妻が乗ってきた時、何も云わずさっと立ってくれた行動を見ると安心するのは親の欲目でしょうか。年寄りと暮らしていたから自然に出るようです。これも収穫の一つでした。
なかなか得難い経験でしたが、たまにはこんな旅もいいものです。家内は娘と温泉旅行に出かけてしまいました。