九州行きとともにすっかり休んでしまった此処ですが、なかなか書き出すフレーズが出てきません。色々ありすぎたので頭の中がグチャグチャしてしまったようです。 まあ色々悩むこともない趣味ブログなので旅の記憶として残ったことをご紹介しましょう。
空いた時間が出来たので阿蘇山を見たくなって熊本から豊肥線に飛び乗り宮地往復をしてきました。
ご覧の転車台は「あそボーイ」がクルリと向きを変えていた有名な場所です。 もはやここに来る主もなさそうで少々錆び付いた状態でぽつねんと佇んでいるようで、夏草や兵どもが夢の跡 という雰囲気が漂っていました。 何となくブルーな雰囲気のまま帰宅。
実はこの時までは気が付いていませんでしたが、熊本駅構内にあった機関区が何処かに移動していたのです。家人の実家は駅の近くで駅構内に隣接する古道の踏切は列車の入れ替えを見物できたのですが、新幹線工事とともに車両基地が消え去っていました。待ちぼうけせずに渡れるようになったのはそのせいだったのだと二日目にして気が付きました。周辺の道路も新幹線工事のおかげでメイン通りの陸橋も廃止されるような激変ぶり、義母が迎えに来てくれなければ迷ったところでした。(汗)
熊本駅構内にあったこんな具合に風格のあった煉瓦機関庫が消え去り、その先にあった転車台も新幹線の橋脚の下になってしまいましたが、さて、来年復活するという人吉行き蒸気機関車8620の転換はとズーッと気になっていたのです。
あ、この機関庫は北陸本線の糸魚川駅にある機関庫です。
翌日、三角線や八代方面であれば時間的に行けそうだったので出撃、三角線は宇土半島を途中で横切っていることを知り、初めて乗った線であることに気が付きました。雲仙・普賢岳を有明海越しに遠望する車窓からの眺めはなかなかです。海岸近く通る箇所もあり途中の草藪を整備して車内からの展望サービスをよくすれば結構な観光線になることと思います。駅も古いまま幾つか残っています。今となっては原風景は大切です。
雲を被っているのが普賢岳、多分この辺が宇土半島横断鉄道の最高地点でしょう。下ると三角港です。
九州鉄道唱歌を思い出したので此処に貼り付けましたが、この唄の町を走ってきた次第です。明治33年頃の鹿児島本線は八代が終着駅でありました。
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55. わたる白川緑川 川尻ゆけば宇土の里
国の名に負う不知火の 見ゆるはここの海と聞く
56. 線路分るる三角港 出で入る船は絶えまなし 57. 南は球磨の川の水 矢よりも早くながれたり
松橋すぎて八代と 聞くも心のたのしさよ
西は天草洋の海 雲かと見ゆる山もなし
とこんな具合に往復し、八代へ、八代駅前では球磨川の大鮎塩焼きに舌鼓を打ったものの出来上がり時間が思いの外かかったので一列車遅らせるハプニングも・・・ 球磨川の鮎は、他所のものに比べて大きいのにびっくりしました。尺物の鮎の甘露煮は計り売りでした。 やや大きめのものを何匹か家に宅急便しておきました。
八代へ足を延ばしたのは内田百閒先生がこの上なく愛でられた「千丁の柳」を見ようと思い立ったのですが、見あたりません。後日友人から20年前に切られてしまったと聞かされショックでした。
その帰路、川尻を過ぎ熊本駅が近づくと車両基地が拡がっています。この端にターンテーブルがしっかり新調されておりました。8620の来年復活は間違いないと云うことをこの目で確かめられたので万々歳でありました。写真は瞬時のことで取り損ねましたが、人間の目に勝るカメラはないという一瞬でした。
昨年乗ったあそ1962の旅?とネーミングされたディーゼルがいた車両基地です。この先の方に転車台があります。
久しぶりに復帰作を書いてみました。