からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

九州漫遊・町並み

2006年02月22日 21時22分24秒 | 佐賀のこと

 今度の九州行きは、墓参りや実家訪問もあったので福岡佐賀熊本と回りました。もっともみぞれの博多では家にこもってルームランナーを歩いてしまったのでぶらついたのは佐賀西部地区と熊本です。

 武雄では、その昔野狐(やこ)が出ると云われたペンションのある永島の堤までの郊外歩きです。一言で云うと変わりすぎ。佐世保線の高架工事で駅周辺が歯抜けとなり母校の武雄高校も校門まで移動して昔のイメージがありません。幽玄であった武雄神社の神域に文化会館や大きなショッピングモールができ、市街地シャッター通り化に寄与していました。(汗)  隣の鹿島市までもこの影響を受けているとか。モールの中には地場よりも全国規模の企業が多いので人出が多くても地元貢献しているとは思えません。  前日、友人が地場の会社経営のバイパス沿いにあるモールに連れて行ってくれましたが、ここは地元の野菜や漬け物が豊富、しかもそれを素材とするカフェテリア式の食堂があって賑わっていました。ついつい食べ過ぎてしまうほど美味しい昼食でした。このような方法で大資本に対抗している地元企業にエールを送りたくなります。温泉通りのような市街地は普通の商売では対抗できないことがよく分かります。 ただ、車の流れを見ていると武雄の地が交通のクロスポイントにあって意外に重要な拠点になるような気がしました。新幹線が来るならば更に考慮すべきことが多いようです。地の利という言葉が浮かびました。

有田は、昔と変わらぬ町並みでホッとしました。町並み全体が文化財となAritatouriって外装の補修等には国の補助があるとたまたま入ったレストランでお聞きしました。町並みは一度壊すと元に戻りません。有田町の選択は大変賢明であったと思います。

ただ解せないことは、昔は栄えていた積み出しの上有田駅が無人駅となっKamiaritaてしまったことです。味のある駅舎は残っていましたが、亡くなった祖母が これを見たら何というのかなと寂しくなりました。

あと、買い物は卸売りセンターと分離されていますが、私はやっぱり古い町並みの中樽や赤絵町での買い物に魅力を感じます。上有田地区の復興が不景気からの脱出策の一つかも知れません。日曜日で雛人形祭りというのに人出がありません。やっぱり上有田にも特急を止めた方がいいと思います。

熊本、ここは変わり過ぎというかマンションだらけで情緒も何もあったものではありません。ちょっと変ではないかと思われる町作りです。熊本の地に初めて降りた40年近い昔は、武雄と比べて何と古くさいところだと思ったほどItiyadomoです。西鉄の路面電車を知っている私は、城下町の名残の街道をくねくね と曲がりながら進む市電に驚きました。確か浄行寺電停近くに「莫大小」という看板を見つけ、高校で覚えた単語に目を見張ったものです。(笑) 今や市電を取り囲む古い問屋街は消え失せました。 当時、熊本は戦争で丸焼けになったと云う話をよく聞きましたが、西南戦争のことであるということで二度びっくりです。そんな町だったのにマンション建設でぶち壊し、絶句の一語です。 熊本にビルができて都会になったと喜んでいる人が多かったのでこの有様かも知れません。 

Toujin 熊本に住んでいる高校の友人と30年ぶりに会い、案内して貰った 唐人町にホッとしました。この地区だけは昔の雰囲気を残そうと運動があったようです。マンションになるはずだった勧銀の建物を危ういところで保存Kangin できたと彼から聞きました。

 一級建築士である彼の事務所は、熊本市のはずれ川尻町にあって築百年の倉であるという木造大好き人間です。熊本にもこんな建築士がおります。

Kasugaji熊本駅近くの春日寺という森鴎外の阿部一族にゆかりのお寺は荒れるにまかせてあります。その他目に付くものは悲しくなることばかりでした。   

莫大小:メリヤス

長くなりましたが、町それぞれです。どのような残し方、発展させ方がいいとは一概に言えませんけど、行政の考えも第三者が見ると露骨に見えてくるようです。 少なくとも高橋の町のように禍根を残さない町作りが必要に思います。 武雄の各地区と樋渡さんの顔を思い浮かべるとついついこのような書き込みになりました。これからを楽しみにしています。

町並みというハードウェアだけでも色々考えることがありますね。ソフトウェアは更に難しそうです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。