足元にもおよばない(汗) 文士に 阿川弘之氏がおります。 足元に及ぼうなど考えること自体が不遜なことでありますが、内田百閒翁に並ぶ汽車ポッポ好き、食べ物好き、そして海軍好きなところに長年親しみを感じているのです。もちろん直接存じ上げているいうわけでもありませんが、「軍艦長門の生涯」には有田出身、経堂住まいだった遠縁のお爺さまが長門の若い甲板士官として登場することもあり、じっくり読みました。それ以前には「南蛮阿房列車」、なぜか汽車ぽっぽで引きずり込まれておりました。もちろん色々拝読致しております。
随筆集「桃の宿」は亡友と旅をした甲州桃花の波の話でした。 涙なくして読めなかった記憶があります。(汗)
食い物のことを書いてみようと思ったものの一行も真似できなかったのが「食味風々(ぷうぷう)録」でありました。文化勲章受賞者のレベルは違います。と云うことで読ませていただくのが一番であります。
そうそう、旧漢字や旧仮名遣いも実は大好きで抵抗感なく読める特技もいつの間にか持ち合わせているので阿川氏の文体を読むと落ち着きます。
その阿川氏が書くところの文藝春秋の巻頭言「葭の髄から」を毎月楽しみにしていたのですが、先日筆を止めるという擱筆宣言があり大変残念です。 我が郷里出身の古賀元帥の話にも感動しました。
その随筆を単行本としてまとめた。「天皇さんの涙」が文藝春秋社から刊行されていたので数日前手に入れて一気に読み終えた次第です。
その昔、某官庁に出向していた際に隣の課長から省内報のアイデア募集があり、汽車ポッポ文士の阿川さんとの対談を提案したところ、学徒動員の先輩である元事務次官との対談が実現し、そのお礼としてサイン入り「暗い波濤」を頂戴したことも懐かしい話です。 何処に行ったかなぁー?
一方的に何となく因縁のある方と思っているのでありますが、もう書かないと宣言されてしまうと寂しいものです。 御年90歳、汽車ポッポ仲間には90歳台で自動車を運転している方もおりますのでまだまだ書いて欲しいと思っています。
一晩寝ての追記事項
どこかの宰相だった方が、あれは方便だったなどとその場の雰囲気に迎合するような軽口を叩くなどはこのような本を読んでいた方であれば起こりうるはずもありません。鈴木貫太郎さんとのとてつもない落差を思ってしまうのは阿川氏の書物のおかげでありましょう。 あのような似而非(えせ)宰相を最近の指導者としたことがこの國の悲劇と思います。 覆水盆に返らず、綸言汗の如しと云う言葉すらご存じないようです。 墓場まで持って行く約束事を俗人ですら保ち合わせているというのに・・・・・。 前言を翻すのが大得意な方でありますのでまたひっくり返るのでしょうか。 お仲間の方々も同じ穴の狢と見てしまいます。 どこかのテレビでは「八百長相撲とかけて政権与党のマニフェスト」とも云っておりましたなぁー。(笑) 我が田舎でもそのような動きをする もと総務大臣殿も・・・・。情け無い。