12月28日に立川競輪場で争われたヤンググランプリ2023。並びは吉田‐橋本の茨城,太田‐山根の岡山,犬伏‐上野の四国で中野と北井と志田は単騎。
太田がスタートを取って前受け。3番手に志田,4番手に吉田,6番手に北井,7番手に犬伏,最後尾に中野で周回。残り3周のバックから犬伏が上昇を開始。中野が続き,中野の後ろに北井がスイッチしました。残り2周のホームで犬伏が太田を叩くと,3番手に続いていた中野が動いて犬伏を叩いて打鐘。後方の吉田が発進して先頭に。すると犬伏が発進。志田が犬伏の後ろになって上野は志田の後ろに。最終周回のホームで犬伏が吉田を叩いて先行態勢に入りましたが,太田がすぐに追い上げてきて先行争い。これを制したのは太田。そのまま逃げ切った太田が優勝。最終周回のバックでは最後尾になってしまった北井が最終コーナーで内を突いて伸びてきて4分の3車身差で2着。志田に位置を奪われた上野が志田の動きに乗じて外を伸び,タイヤ差で3着。
優勝した岡山の太田海也選手は4月に松山でFⅠを優勝して以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは太田と北井と犬伏が脚力で上位。展開はあまり関係なく,脚力での決着になるかと思っていましたが,犬伏と太田が先行争いを演じることになったため,叩かれた犬伏が脱落しました。北井が後ろになってしまったのは着差から考えても太田にとっては幸運でしたが,犬伏を叩いて先行しての逃げ切りですから,大きく評価してよいと思います。競技が中心のため競輪への出走は少なくなっていますが,すでに記念競輪であれば優勝候補になるくらいの選手になっていると思います。
『スピノザーナ11号』の検討が終わりましたので,日記に戻ります。『スピノザーナ11号』を読み終えたのは昨年の3月15日でしたので,それ以降の日記です。
3月17日,金曜日。午前10時10分に,支援計画書を作成してもらっているKさんから電話がありました。グループホームを訪問する機会に,妹の受給者証をコピーすることの可否を問うものでした。断る理由はありませんから許可しました。このようなやり取りは,実質は形式上のものです。受給者証のコピーを取る場合は,保護者の許可が必要という制度になっているため,Kさんが受給者証のコピーを必要とする機会には,必ずこのような電話が掛かってくることになるのです。
3月19日,日曜日。彼岸会がありましたのでお寺に行きました。
3月20日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時15分でした。6日に検査のために通院していましたので,この日は保険証の確認の必要はありませんでした。なのですぐに予約票を機械から出して中央検査室へ向かいました。
中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。なので採血をしてから採尿をしました。6日に注射針の処理も済ませてありますから,この日は注射針は持参していませんでした。
診察が始まったのは午後3時40分でした。HbA1cは7.5%でした。数値としては2月と大して変わっていません。ただ,昼食前と夕食前は低血糖の割合がそれぞれ15%を超えていました。これは多すぎますので,朝食前と昼食前に注射している超速攻型のインスリンであるヒューマログの注射量を,それぞれ0,01㎎ずつ減らすという措置を講じることにしました。この日に出ていたそれ以外の異常はアルブミンで,4.0g/㎗と,下限値の4,1㎎/㎗を下回っていました。この異常は2月に引き続いてのものですが,数値としては改善していたことになります。
6日の検査の結果はすでに出ていたのですが,脚部の動脈硬化の検査の結果が悪かったので,MRIを使っての再検査を要請されました。日程を調整して,この診察の間に検査のための予約を入れてもらいました。
太田がスタートを取って前受け。3番手に志田,4番手に吉田,6番手に北井,7番手に犬伏,最後尾に中野で周回。残り3周のバックから犬伏が上昇を開始。中野が続き,中野の後ろに北井がスイッチしました。残り2周のホームで犬伏が太田を叩くと,3番手に続いていた中野が動いて犬伏を叩いて打鐘。後方の吉田が発進して先頭に。すると犬伏が発進。志田が犬伏の後ろになって上野は志田の後ろに。最終周回のホームで犬伏が吉田を叩いて先行態勢に入りましたが,太田がすぐに追い上げてきて先行争い。これを制したのは太田。そのまま逃げ切った太田が優勝。最終周回のバックでは最後尾になってしまった北井が最終コーナーで内を突いて伸びてきて4分の3車身差で2着。志田に位置を奪われた上野が志田の動きに乗じて外を伸び,タイヤ差で3着。
優勝した岡山の太田海也選手は4月に松山でFⅠを優勝して以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは太田と北井と犬伏が脚力で上位。展開はあまり関係なく,脚力での決着になるかと思っていましたが,犬伏と太田が先行争いを演じることになったため,叩かれた犬伏が脱落しました。北井が後ろになってしまったのは着差から考えても太田にとっては幸運でしたが,犬伏を叩いて先行しての逃げ切りですから,大きく評価してよいと思います。競技が中心のため競輪への出走は少なくなっていますが,すでに記念競輪であれば優勝候補になるくらいの選手になっていると思います。
『スピノザーナ11号』の検討が終わりましたので,日記に戻ります。『スピノザーナ11号』を読み終えたのは昨年の3月15日でしたので,それ以降の日記です。
3月17日,金曜日。午前10時10分に,支援計画書を作成してもらっているKさんから電話がありました。グループホームを訪問する機会に,妹の受給者証をコピーすることの可否を問うものでした。断る理由はありませんから許可しました。このようなやり取りは,実質は形式上のものです。受給者証のコピーを取る場合は,保護者の許可が必要という制度になっているため,Kさんが受給者証のコピーを必要とする機会には,必ずこのような電話が掛かってくることになるのです。
3月19日,日曜日。彼岸会がありましたのでお寺に行きました。
3月20日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時15分でした。6日に検査のために通院していましたので,この日は保険証の確認の必要はありませんでした。なのですぐに予約票を機械から出して中央検査室へ向かいました。
中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。なので採血をしてから採尿をしました。6日に注射針の処理も済ませてありますから,この日は注射針は持参していませんでした。
診察が始まったのは午後3時40分でした。HbA1cは7.5%でした。数値としては2月と大して変わっていません。ただ,昼食前と夕食前は低血糖の割合がそれぞれ15%を超えていました。これは多すぎますので,朝食前と昼食前に注射している超速攻型のインスリンであるヒューマログの注射量を,それぞれ0,01㎎ずつ減らすという措置を講じることにしました。この日に出ていたそれ以外の異常はアルブミンで,4.0g/㎗と,下限値の4,1㎎/㎗を下回っていました。この異常は2月に引き続いてのものですが,数値としては改善していたことになります。
6日の検査の結果はすでに出ていたのですが,脚部の動脈硬化の検査の結果が悪かったので,MRIを使っての再検査を要請されました。日程を調整して,この診察の間に検査のための予約を入れてもらいました。
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