併走する国道121号線を「例弊使街道」と言うらしい。
車窓からは、その街道の有名な杉並木が見える。
江戸時代には、日光東照宮参拝の諸侯がその届け出をし、心身を清めた場所と言われ
るのが今市。
列車はここからは、25パーミルの最後の急坂を登りにかかる。
宇都宮からは凡そ40分、男体山や日光の山々が近づいてくると、日光に到着する。
ホームに着いてまず目につくのが貴賓室。
かつて大正天皇が御用邸を訪れた時、休憩に使われた部屋だと言う。
駅は、明治23年の開業、現在の駅舎は大正元年に改築された木造の名建築として知ら
れている。
白を基調に、緑の立てラインがモダンな「ネオ・ルネッサンス」と呼ばれる洋風建築
で、まだコンクリートが一般的で無かった事も有り、地元産の大谷石がふんだんに使わ
れている。
夜はライトアップされる事も有ると聞いた。
駅前に活気はない。
二三台のタクシーが、手持無沙汰に客待ちをしているが、利用する程の客が列車からは
降りてこない。
バス停にもバスの姿は無く、二人連れの外人観光客が、バスの到着時刻を調べていた。
標高533mの看板の立つ、ロータリーの向こう側に立ち並ぶ、みやげもの屋さんの殆ど
が、閉めたガラス戸にカーテンを引いている。
そんな土産物屋さんの前にも、駅前にも人の姿が殆ど無く、閑散としている。
世界遺産、国際観光都市、日光の観光拠点とはとても言えない光景に唖然とする。
綺麗に整備された駅前が、何だか空々しく虚しくて寂しい。(続)
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車窓からは、その街道の有名な杉並木が見える。
江戸時代には、日光東照宮参拝の諸侯がその届け出をし、心身を清めた場所と言われ
るのが今市。
列車はここからは、25パーミルの最後の急坂を登りにかかる。
宇都宮からは凡そ40分、男体山や日光の山々が近づいてくると、日光に到着する。
ホームに着いてまず目につくのが貴賓室。
かつて大正天皇が御用邸を訪れた時、休憩に使われた部屋だと言う。
駅は、明治23年の開業、現在の駅舎は大正元年に改築された木造の名建築として知ら
れている。
白を基調に、緑の立てラインがモダンな「ネオ・ルネッサンス」と呼ばれる洋風建築
で、まだコンクリートが一般的で無かった事も有り、地元産の大谷石がふんだんに使わ
れている。
夜はライトアップされる事も有ると聞いた。
駅前に活気はない。
二三台のタクシーが、手持無沙汰に客待ちをしているが、利用する程の客が列車からは
降りてこない。
バス停にもバスの姿は無く、二人連れの外人観光客が、バスの到着時刻を調べていた。
標高533mの看板の立つ、ロータリーの向こう側に立ち並ぶ、みやげもの屋さんの殆ど
が、閉めたガラス戸にカーテンを引いている。
そんな土産物屋さんの前にも、駅前にも人の姿が殆ど無く、閑散としている。
世界遺産、国際観光都市、日光の観光拠点とはとても言えない光景に唖然とする。
綺麗に整備された駅前が、何だか空々しく虚しくて寂しい。(続)
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